- 著者
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辻田 右左男
- 出版者
- 奈良大学
- 雑誌
- 奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
- 巻号頁・発行日
- no.2, pp.49-59, 1973-12
近代日本の黎明である明治維新の出発点は政治的にも社会的にも,19世紀30~40年代の天保期に求められるといわれるが,それと符節を合するように,1845年(弘化2)地理学の上でも,十二分に近代とつながる画期的な名著「坤輿図識』が,弱冠25才の青年箕作省吾によって生み出された.この書物はおおかたの史家の注意の外にあるが,刊行されるやたちまち,幕末社会に大きいセンセーションをまきおこし,武十といわず庶民といわず当時の知識人に対し,国際知識開眼の書となった.しかし世上の歓迎・喝采とはうらはらに,著者省吾はこの書物刊行の翌年,好評に答えて上梓するはずの続編を執筆中,略血して急逝するという悲劇的なアクシデントが起きた.急きょ省吾の養父,当代随一の碩学箕作玩甫が嗣子の後を襲って「坤輿図識補』の完成を目指すが,著者父子の微妙なからみ合い,その刊行年代をめぐって,いくつかの問題が想定される.筆者がこの書物の存在を知ったのは,すでに40年に垂んとする昔のことである.当時,筆者は幕末の学究吉田松陰に傾倒し,とくにかれの地理学研究に興味を感じたが,松陰の著述にあまりにもしばしば坤輿図識という書名の現れるのに奇異の念を抱いた.