- 著者
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辻田 右左男
- 出版者
- 奈良大学
- 雑誌
- 奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
- 巻号頁・発行日
- no.9, pp.p61-74, 1980-12
ハヅクルートは,わが国では,まだ,ほとんど知られていない名前である.筆者自身もかれの名前だけはかすかに知っていたが,かれが現在に至るまで,地理学の上に大きく,根強い影響力をもつ学者であることを数年前まで明らかにしえなかった.ではRichard Hakluyt(1552-1616)とはいかなる人物であったろうか.かれは,まず,シェクスピアと同時代の,偉大な地理学者の1人であった.つぎに聖職者ハックルートHakluyt,Preacherとしぼしばかれが自署したように,かれは職業的には僧侶であったが,なによりも重要なのは,倦まずたゆまずその一生をかけて,イギリスはじめ近隣諸国の航海文書を収集し,地理学の聖典Bibleともいうべきみごとな『航海記』を後世に遺したことである.17世紀後半から始まるイギリスの領土的拡大,大植民帝国の建設はこの書物の存在に負うところが多い.従来,ハックルートならびに『航海記』Principal Navigationsが,わが国の地理学で不問に付されていたのは,明治中期以後の日本の近代地理学が,まずフンボルト,リッター,ラッツェルを生んだドイツに傾斜し,のちブラーシュによって代表されるフランス学派に左祖したことに遠因が求められる.いずれかといえば,イギリスの地理学は地味であり探検地理,商業地理など実用面を重んじ,理論的でないという理由で,わが国ではこれを軽視する風潮があったことは否めない.たしかに,地理教育の上では,福沢諭吉などの提唱によりイギリスに範を求めた事例も少くはないが,学問としてはイギリスの地理学は敬遠され,当然のこととして,ハックルートのような地理学の巨匠の姿が見失われ勝ちであった.筆者はこの小文において,敢えてこの未知の巨人に接近し,シェクスピアの劇作に匹敵するという偉大な業績,散文で書かれたイギリス国民の叙事詩prose epic of the English Nation と呼ばれる『航海記』の一断面を明らかにしてみたいと思う.