著者
河内 佐智子
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
no.6, pp.52-68, 1988-12

藤原不比等については、『日本書紀』・『続日本紀』をはじめとする史料を綜合して、多くの検討が加えられ、さまざまな人物像が描かれている。一般的には、藤原鎌足の後継者で、大宝律令の制定に関与し、養老律令の撰定、平城遷都などの推進者として、八世紀初頭の律令体制の中心に位置し、政治面に大きな権力を保持していた人物であるとされている。しかし、鎌足と不比等の継承関係も、父子であること以外には明瞭にされておらず、『家伝』の「大織冠伝」と『日本書紀』との関係をはじめとする史料批判も完了しているとはいえない。また、野村忠夫氏・上田正昭氏等によって指摘されてきた「不比等の絶対的な権力」についても、再検討を必要とするという動きがみられる。さらに、佐藤宗諄氏は、不比等についても仲麻呂の造作がかなり為されているので、この詔で不比等に与えられた「五千戸」という封戸の数についてもおそらくは仲麻呂の造作であろうと指摘しておられる。第一に藤原氏が確定〔文武二年(六九八)に不比等のみ藤原氏と称することが許されるようになってからという意であろう〕してから未だ十年にも満ちていないこと、第二に不比等の上位には右大臣石上朝臣麻呂が健在であることをあげておられる。つまり佐藤氏は、それまでの不比等の経歴からでは彼が五千戸を与えられ得るだけの力量と基礎をもっていたとは考えられないのではなかろうかと主張しておられる。『続日本紀』の本文批判は、まだ『日本書紀』に対してのようには厳密には行われていない。そのなかでは、佐藤氏の見解は特異なものである。本稿では、藤原不比等の「功封」を中心にして、それが賜与された慶雲四年(七〇七)ごろの不比等についても考察を加えて行きたい。

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