- 著者
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水野 正好
- 出版者
- 奈良大学文学部文化財学科
- 雑誌
- 文化財学報 (ISSN:09191518)
- 巻号頁・発行日
- no.13, pp.71-80, 1995-03
最近では、奈良時代、平安時代の胞衣壷の発掘例が激増し、この時代、胞衣壷を丁寧に地に埋ある慣行が、各地に広く拡がっている状況が読みとれるようになった。また、一方、中世末から近世、都市として股賑を極めた堺や伊丹でも、同様の慣行の存続を物語る胞衣壷の発掘例が相ついでおり、長期の脈々たる慣行の伝承が予測されるようになった。こうした考古学の成果を検討すると、平安時代後期以降、中世前半の胞衣壷の発見例が極めて乏しいことに気づくのである。奈良朝の胞衣壷を地中に埋める慣行は『崔行功』小児方に「凡胞衣、宜蔵干天徳月徳吉方、深埋繋築、令見長寿」等と記す中国での埋納法をうけての慣行とみてよいであろう。中国の産経、産書を承けての慣行受容なのである。