2 0 0 0 IR 鎮井祭の周辺

著者
水野 正好
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.10, pp.p84-91, 1981-12

上代の日本には、鎮魂祭、鎮花祭、鎮火祭、鎮土公祭というように数多くの「鎮めのまつり」がとり行なわれている。鎮めの思惟は、生活のリズムがよってたつ重要な基盤に弱まりなり危機が訪れる、そうした非常の事態に対応して、鎮め、和めて正常な姿に恢復させようとする、そうした意図のもとに息ずくものである。たとえば、人々の魂主上の魂があくがれ出でて身体を離れるー死にも通ずる冬の時、中府に魂魄を鎮める秘儀を通じて新しく魂を得てよみがえりの春を迎る、こうした一連の想ひと行為が鎮魂祭であった。想えば、屋敷のなりたちには地鎮め、建物の建て初めには鎮壇、家の完成にあたっては屋固のまつりがあるように、人の居処としての屋敷地は、まさに「鎮めのまつり」の横溢する場であった。居住にかかせぬ井戸と竈も生活のリズムの根源をなすものとして、常に強く意識され、その清浄と正常が求められて来た。『延喜式』などでも「御井并御竈祭」と記されているように両者への共通した心くばりはまことに強いものがあり、「鎮めのまつり」の重要な一劃を構成している。考古学の世界から、こうした井・竈の一部、井をめぐって、掘穿時の鎮めなり井の汚染による清浄への鎮めを通じて人の心根を見、その鎮めの世界とその周辺をたどることにしよう。

1 0 0 0 河内飛鳥

著者
門脇禎二 水野正好編
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
1989

1 0 0 0 近江

著者
水野正好編
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
1992
著者
水野 正好
出版者
奈良大学文学部文化財学科
雑誌
文化財学報 (ISSN:09191518)
巻号頁・発行日
no.14, pp.41-51, 1996-03

出産のあと、湯殿始めの儀が執り行なわれる。産湯の儀である。この産湯の水は、単なる産児を洗う湯という以上に強い宗教性が与えられている。例えば、後白河院の誕生を記す『九民記』には「次主税属佐伯貞仲率仕丁、令汲吉方水」とあるように、産湯水には、誕生した産児の吉方を勘案して陰陽師が方角(吉方)を定め、その方角にある河川などから「吉方水」を汲みとり、宮室・家宅に持ち蹄るのである。

1 0 0 0 IR 産育呪儀三題

著者
水野 正好
出版者
奈良大学文学部文化財学科
雑誌
文化財学報 (ISSN:09191518)
巻号頁・発行日
no.13, pp.71-80, 1995-03

最近では、奈良時代、平安時代の胞衣壷の発掘例が激増し、この時代、胞衣壷を丁寧に地に埋ある慣行が、各地に広く拡がっている状況が読みとれるようになった。また、一方、中世末から近世、都市として股賑を極めた堺や伊丹でも、同様の慣行の存続を物語る胞衣壷の発掘例が相ついでおり、長期の脈々たる慣行の伝承が予測されるようになった。こうした考古学の成果を検討すると、平安時代後期以降、中世前半の胞衣壷の発見例が極めて乏しいことに気づくのである。奈良朝の胞衣壷を地中に埋める慣行は『崔行功』小児方に「凡胞衣、宜蔵干天徳月徳吉方、深埋繋築、令見長寿」等と記す中国での埋納法をうけての慣行とみてよいであろう。中国の産経、産書を承けての慣行受容なのである。
著者
水野 正好
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.16, pp.p59-72, 1987-12

近時の考古学の著しい進展は、多くの分野に対して詳細な「語り」を整え、次第に体系化を促す方向に進みつつある。「女性論」、とくに古代における女性の在り方をめぐっても多くの資料が蓄積されており、視座の展開と相俟って種々の見解が叢出している。本稿では、こうした所見を踏まえつつ、私見を中心に据え私なりの構造観でもって「女性論」の考古学を語ることとしたい。
著者
水野 正好
出版者
奈良大学文学部文化財学科
雑誌
文化財学報
巻号頁・発行日
no.4, pp.1-17, 1986-03

本稿では、災ひを嬢ひ福を招く、そうしたまじなひ世界を中心に、中世を生きた人々と鬼神をめぐる想ひ、祈りを垣間見たいと思います。まじなひ世界の研究は殆んどなされて居りませんから、ここに、私の意のあるところを記しましてご批判、ご教示を得たいと思います。
著者
水野 正好
出版者
奈良大学文学部文化財学科
雑誌
文化財学報
巻号頁・発行日
vol.2, pp.23-43, 1983-03

人の心根の揺れ動くところ、必ずや人に近ずき人の親しむものの世界を生み、また必ずや人から遠ざかり人と疎縁となるものの世界を生み出す。今日の私どもがいだく心根なり、想ひとは、また全く異った心根なり想ひでつつまれた一つのものの世界が時にはたどれるのである。馬・馬・馬と題した小稿は、古代における人々の馬を視る目の動き、心の動きをいくつかの資料に語らせようとするものである。
著者
水野 正好
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.65-79, 1997-03

倭国女王卑彌呼の宮都が邪馬臺国にあることは『三国志』魏志の明記するところである。從前、この邪馬臺国は、魏志に頻出する女王国と混同され、同一視される場合が多いが、邪馬臺国と女王国は区別されるべき、別個の存在であることは魏志を熟読することで理解される。女王国の謂いは「女王の統治する国」の意であり、「女王の都する国」の意をもたぬことは歴然と窺えるところである。