著者
西山 猛
出版者
九州大学大学院言語文化研究院
雑誌
言語文化論究 (ISSN:13410032)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.59-71, 2011-02-07

私は以前西山2010において、『遊仙窟』における主人公の呼称について論を述べた。そこで明らかになったことは古代漢語の文法的な特徴である ; 即ち古代漢語では作品中のある登場人物は直接主人公に対して人称詞を用いて話しかけることもでき、その一方登場人物は同じ人称詞を用いて他の登場人物と会話することもできる、ということである。そこで、次に問題になってくることは、古代漢語に続く近世漢語において状況はどうなっているのか、ということである。近世漢語の特に明清白話以前の所謂「早期白話」にあたる文献は数が圧倒的に少なく、またどういった文献が実際の分析に堪えうるものかということになると、これはなかなか文献選定の難しい問題である。今回はその中でも特に我々日本人にとって注目すべき文献『大唐三蔵取経詩話』(以下『取経詩話』と略称)を取り上げることにしたい。この文献は日本に将来された所謂「宋版」であり、文献学的な問題については磯部1997が詳しく取り上げている。現在目睹できる実物が「宋本」であるかどうかについて私は定見を持たないが、この文献の語学的な観点から見た該書の特徴から考えて、その成立はおおよそ宋代あたりに求められるであろうと考える。この物語は一般には後代の『西遊記』の祖型に当たると考えられている。厳密に言えば『大唐西域記』記載に始まる玄奘三蔵取経の故事である。明本西遊記の主人公は明らかに孫悟空であり、玄奘のいわゆる陳光蕊故事については明本に記載が無い。その後、清代の『西遊真詮』において玄奘の出自について明本に補足する記載が有ることは周知の事実である。しかし『取経詩話』において、いったい誰が主人公であるのかを見定めるのは非常に難しい問題である。該書のストーリー全体から考えると全編に渉り登場してくる人物は法師、即ち玄奘三蔵である。一方該書の猴行者、即ち孫悟空は明本西遊記と違い全編に登場してくるわけではない。例えば全十七章のうち第九章と第十二、十三章においては少なくとも孫悟空が個人として登場してくることはない。しかし物語のハイライトという観点から見てみると、第五、六、七章及び第十一章に孫悟空が活躍する場面が現れる。これは後の西遊記にも連なるものである。そこで、今回はとりあえず玄奘三蔵と孫悟空二人を主人公と設定した上で、この二名が該書においてどのように呼ばれるかについて考察したい。その際、西山2010と同じく、「人称詞」という表現に着目して論じることにする。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (2 users, 2 posts, 0 favorites)

こんな論文どうですか? 『大唐三蔵取経詩話』における主人公の呼称(西山 猛ほか),2011 http://t.co/eAeLHpRO9u 私は以前西山2010において、『遊仙窟』に…

収集済み URL リスト