著者
橋本 和孝
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
vol.115, pp.129-134, 2009-03

ハノイ(河内)のチュクバック湖(竹百湖)の近くに神光寺(●●●)という仏教寺院がある。その門柱に「国家有永山河固」という漢越語が書いてあった。小稿は、この漢越語の歴史的背景を検討する。神光寺はチュクバック湖の近くにあることから、チュクバック湖について概説し、神光寺が、18世紀初頭、鄭氏時代に建立されたことを指摘する。そこは五社寺院とも呼ばれ、五社通りに立地しており、近隣の5つの村からやってきた鋳物師達が住んでいた。かくして神光寺は、銅職人達の守護聖人を奉る。鄭氏時代は、北部の鄭氏と南部の阮氏という二つの国家に分裂した時代と見なされ、両者の抗争が頻発した。国家は無力化し、水利施設の建設・補修などの事業は行われなくなり、飢饉に見舞われた反面、鄭氏の諸候達は、遊興三昧で、寺や豪邸を建築した。ここから小稿では、神光寺の建立と維持に銅職人達が関わったと見なす観点と鄭氏の諸候達が建立したとする二つの観点を提示した。

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