- 著者
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市村 高男
- 出版者
- 高知大学大学院黒潮圏海洋科学研究科
- 雑誌
- 黒潮圏科学 (ISSN:1882823X)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, no.2, pp.174-187, 2013-03
鹿児島県三島村は、薩摩半島の南西海上に浮かぶ離島であり、竹島・硫黄島・黒島の三つの島からなる。これらの三つの島はトカラ列島とともに、中世日本の西の境界領域であった。この点に着目し、私は三つの島の文書・遺物の調査と遺跡の調査を実施した。本稿は、それらの成果を報告し、西の境界領域研究の新たな発展の基礎を固めた。また、本研究と黒潮トライアングルとの関係についても言及した。この研究によって、私は次ぎの点を明らかにした。まず第1に、三つの島の歴史的変遷を明らかにした。三つの島は、12世紀後半、13世紀末~14世紀前半、15世紀後半~16世紀後半に大きな画期があり、第3の画期が近世の島社会の出発点となった。第2に、硫黄島の三回目の変化は、島外からの新たな移住者である長浜家や岩切家らの活動によってもたらされた。長浜家は海の有力な商人であり、岩切家は硫黄採掘に関わる技術者であった。やがて長浜家は硫黄島の支配権を掌握し、君臨した。 第3に、竹島・硫黄島・黒島やトカラ列島がある海域は、多くの部分が黒潮の流れに洗われており、そこに点在する島は、航海する船の寄港地として重要な役割を果たしていた。島津氏や種子島氏らは、島の支配と商船の支配を一体的に考えていた。この海域の島々は、九州と沖縄との間の航海において、不可欠の存在であった。 第4に、この研究がフィールドとした島々や海域は、大半が黒潮トライアングルと重なっている。そこは人やモノの行き交う場であり、日本と琉球のせめぎ合いの場でもあった。それゆえ、この海域や島々の研究は、人文科学から黒潮トライアングルを考えることと深く関連する。自然科学と人文科学・社会科学との協働による研究の進展が望まれる。