- 著者
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市村 高男
- 出版者
- 高知大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 2005
本研究は、土佐国幡多荘が四国随一の貿易陶磁器出土地である点に着目し、その荘園領主一条氏による海外貿易の可能性を探り、合わせて中世日本における幡多地域の歴史的な役割について考察した。その基本的な作業として、一条氏の外戚となった加久見氏の屋敷跡の発掘調査を実施し、建物跡や中国産陶磁器や国産の陶器・土器など多数の遺物を検出、土佐でも有数の存在であったことを確認した。加久見氏屋敷跡は、城跡や菩提寺・家臣団屋敷などを伴う小世界の中心であり、川を媒介に港湾・港町とも直結する海の領主の本拠に相応しいものであった。一条氏は、こうした海の領主たちを広く組織し、海上における彼らの日常的な活動を取り込むことによって、広域的な交易活動に参画していた。一条氏は実際に唐船を建造しており、しばしば舶来品を朝廷や京都の一条氏へ贈るなど、海外貿易に関与していた様子を明確に示している。畿内の一角からブランド石材で作られた多数の石造物が搬入されていたことも明らかになってきた。幡多地域で多量の中国産等の陶磁器類が出土するのも、一条氏の広域的な交易活動によるものと考えてよさそうである。また、一条氏は、防長の大内氏、豊後の大友氏、日向の伊東氏と婚姻関係を結び、豊後水道から瀬戸内海にかけての航路の安全を確保し、この航路を頻繁に使用していた様子も確認できる。さらに本願寺や紀州の雑賀門徒とも結んで紀淡海峡から太平洋を通って幡多や九州へ通じる航路も確保していた。土佐国幡多荘は、瀬戸内海・豊後水道ルートと太平洋ルートとが合流するところに位置しているが、それによってこの地域の海運上の位置が決定的に高まることになった。一条氏が幡多荘を重視したのはこのような理由によるものであった。