- 著者
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孫 才喜
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- no.19, pp.79-104, 1999-06
太宰治(一九〇九―一九四八)の『斜陽』(一九四七)は、日本の敗戦後に出版され、当時多くの反響を呼んだ作品である。本稿では、かず子の手記の物語過程と、作品中に頻出している蛇に関する言説を中心に作品を読み直し、『斜陽』におけるかず子の「恋と革命」の本質の探究を試みた。 敗戦直後の日本は激しい混乱と変化の時期を迎えていた。かず子の手記はそのような日本の社会的状況や文化的な背景と切り離して読むことは難しい。貴族からの没落と離婚と死産を経験したかず子は、汚れても平民として生きていくことを決意する。このようなかず子の生き方は、最後の貴族として美しく死んでいった母や、最後まで貴族としての死を選んだ弟の直治とは、非常に対照的である。 かず子は強い生命力の象徴である蛇を内在化させることによって、自分の中に野生的な生命力を高めていった。また聖書の中のキリストの言葉、「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」をもって、おのれの行為を正当化し、悪賢くても生き延び、「道徳革命」を通して「恋と革命」を成し遂げる道を選ぶのである。その「革命」は「女大学」的な生き方を否定し、「太陽のように生きる」ことである。この「女大学」は、日本の近代化のなかで強化されてきた家父長制度のもとで、女性に強いられた良妻賢母の生き方を象徴している。また「太陽のように生きる」とは、明治末から大正にかけて活動していた青鞜派の女性たちを連想させており、「女大学」的な旧倫理道徳を否定し、新しい道徳をもつことである。母になりたい願望をもっているかず子は、「恋」の戦略によって、家庭をもつ上原を誘惑し、彼の子供を得た。しかしそれはかず子の「道徳革命」の一歩にすぎない。かず子が母と子どもだけの母子家庭を築き上げて、堂々と生きていったとき、かず子の「道徳革命」は完成されるのである。 本稿では『斜陽』における蛇に関する言説と日本の民間信仰、聖書との関係、家父長制度とかず子の「道徳革命」との関係などを分析しており、それらが作品の展開とテーマの形成に深くかかわっていることが明らかにされている。