- 著者
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野中 博史
Hirofumi NONAKA
- 雑誌
- 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
- 巻号頁・発行日
- vol.12, no.1, pp.221-238, 2005-03-22
薬の副作用などのリスク(危険性)をどのように市民に伝えるか。報道に携わるものにとってリスク情報の取り扱いはきわめて難しい。蓋然性は高くても必然性のないリスク情報は、伝え方によっては社会にパニックを引き起こす。伝えなければ、現実的被害を招く結果になるかもしれない。日本では過去、睡眠薬「サリドマイド」、血友病治療薬「非加熱製剤」、風邪薬「PPA」などの薬害が続き、いずれも統治者である政府の対応の不適切さが指摘されているが、同時にリスクを適切に伝えなかった新聞をはじめとする報道機関の責任も問われるべきではないだろうか。市民(国民)の知る権利に応えるべき報道機関のそうした"報道萎縮"は、市民一人ひとりの安全よりも共同社会の平穏を第一義的に考える報道倫理に原因があると考えられる。統治者と報道機関の"共同幻想"といってもよい。共同幻想社会での報道萎縮は、公共の概念すらも国家や統治者サイドに立ち、市民を信用しない報道となりかねない。それは市民の安全を脅かすものであると同時に民主主義社会そのものを空洞化させる危険性がある。