著者
野中 博史 Hirofumi NONAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.323-341, 2007-03-20

民主主義社会における国家の運営は、自律した国民1人ひとりの意見を基盤とする世論に基づいてなされるのが原則である。国民が意見を表明する際の判断要素となるのは、生まれて以来受けてきた教育や体験を通して獲得した価値観、世界観、利害得失、印象、メディアや他人から得られた情報など様々である。中でもメディアによる継続的で正しい情報は、国民が適切な判断をする際の材料として不可欠の要素であるが、情報に接しない構成員が多い社会では、情報による適切な世論形成は困難になる。また、情報に間違った内容や意図的な操作などのノイズが入った場合も同様である。継続的で正しい情報が不在のまま世論形成がなされ、多数派を形成した社会では構成員の多寡に関わらず、少数派は沈黙しがちとなり、意見の寡占化が進む(沈黙の螺旋)。過剰な情報が意識の画一化、寡占化を促すとの説(象徴的貧困)もあるが、今回の考察では情報が少ない場合に、人々の意見はより寡占化が進む傾向がみられた。多様な意見が失われた社会は、民主主義の理念である多様な意見による社会形成効果が作用せず、全体主義的な空気を醸成する可能性が高くなる。しかし、構成員が非自律的であったにせよ適切な情報や対抗意見(対抗言論)に接すれば、"沈黙の螺旋"から解放され、意見の多様化が担保されるようになる。新聞を使った授業(NIE)でも、児童、生徒に対する教員側からの適切な情報提供や対抗意見を尊重する雰囲気作りが欠かせない。
著者
野中 博史 Hirofumi NONAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.221-238, 2005-03-22

薬の副作用などのリスク(危険性)をどのように市民に伝えるか。報道に携わるものにとってリスク情報の取り扱いはきわめて難しい。蓋然性は高くても必然性のないリスク情報は、伝え方によっては社会にパニックを引き起こす。伝えなければ、現実的被害を招く結果になるかもしれない。日本では過去、睡眠薬「サリドマイド」、血友病治療薬「非加熱製剤」、風邪薬「PPA」などの薬害が続き、いずれも統治者である政府の対応の不適切さが指摘されているが、同時にリスクを適切に伝えなかった新聞をはじめとする報道機関の責任も問われるべきではないだろうか。市民(国民)の知る権利に応えるべき報道機関のそうした"報道萎縮"は、市民一人ひとりの安全よりも共同社会の平穏を第一義的に考える報道倫理に原因があると考えられる。統治者と報道機関の"共同幻想"といってもよい。共同幻想社会での報道萎縮は、公共の概念すらも国家や統治者サイドに立ち、市民を信用しない報道となりかねない。それは市民の安全を脅かすものであると同時に民主主義社会そのものを空洞化させる危険性がある。