著者
清水 一彦
出版者
江戸川大学
雑誌
江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
巻号頁・発行日
no.25, pp.195-206, 2015-03

1956 年の流行語となった「もはや「戦後」ではない」は,同年版『経済白書』に記されている。戦後からの回復を通じての経済成長が終わったあとにくる難題にたいしての警句であったが,そういつまでも戦後でもあるまいといった「空気」を背景に,情報の送り手と受け手の相互作用で戦後を抜け出し高度成長へ向かう凱歌として解釈されることになった。その後もこの凱歌としての社会的記憶は,送り手にとっても受け手にとってもより"ここちよい"物語として再構成されつづけ,現在では,神武景気を経て『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに高度経済成長期突入を宣言した,とまで変容している。本稿は,このフレーズの社会的記憶が変容する過程を分析した。

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[メディア][歴史社会学]
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@ascendbba JOCがヤル気でいたモスクワ五輪を 米国政府がボイコットするんだから我が儘を言うなと無理矢理に制止したかと思えば IOC副会長が東京五輪開催の意向 「もはやコロナ後ではない」ということ https://t.co/o8MyQSjmaf
"戦後からの回復を通じての経済成長が終わったあとにくる難題にたいしての警句が,そういつまでも戦後でもあるまいといった「空気」を背景に,情報の送り手と受け手の相互作用で戦後を抜け出し高度成長へ向かう凱歌として解釈されることになった。" https://t.co/YYtjh1aSrG
“CiNii 論文 -  "もはや「戦後」ではない"という社会的記憶の 構成過程” https://t.co/xpg6voOOX6

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