- 著者
-
安藤 丈将
- 出版者
- 武蔵社会学会
- 雑誌
- ソシオロジスト : 武蔵社会学論集 (ISSN:13446827)
- 巻号頁・発行日
- vol.17, no.1, pp.31-65, 2015
本稿では,日本の脱原発運動が国政選挙に関わる際に,いかなる困難に直面したのかを論じる。具体的には,脱原発運動の参加者によって組織され,1989年7月の参院選に挑んだ「原発いらない人びと」(以下,「いらない人びと」と略記)の選挙キャンペーンを考察の対象にする。1~2節で1989年の政治状況と「いらない人びと」の選挙戦について述べた後,3~5節では,「いらない人びと」が選挙戦で直面した3 つの困難を明らかにする。1つ目は,日本社会党の存在である。社会党は,古い革新政党的な性格を持ちながら,反原発を唱えるというユニークな存在であった。社会党の存在は脱原発運動内の政党支持に関する判断を分岐させ,脱原発政党に運動の票が結集するのを妨げた。2つ目は,選挙の異なる目的の間に生じた矛盾である。「いらない人びと」では,多数の票を獲得して議員を国会に送り出すこと以外に,選挙戦の慣習的なやり方や参加者同士の関係性を点検し,脱原発社会の生き方を体現するという目的があった。しかしながら,脱原発的な生き方の表現は,票の効率的な獲得とは必ずしも調和せず,「いらない人びと」では前者が優先されていった。3つ目は,直接民主主義の逆説である。自分たちの代表を選びたいという願いの強さが,他の政党の候補者との相乗りを拒否させることにつながったため,脱原発の小政党間の戦略的な連携はうまくいかなかった。以上のように,他の政党との協力や多数の票を獲得するための選挙体制などに関して,「いらない人びと」が合理性や効率性よりも民主主義を優先させたことの意味を論じるのが,本稿のめざすところである。