著者
安藤 丈将
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.239-254, 2014 (Released:2015-09-30)
参考文献数
35

本稿では, ラ・ビア・カンペシーナ (LVC) を中心とする小農民の運動について考察する. LVCは, 現在のグローバル政治の中で影響力をもつ行為者であるが, いかなるフレームが農民をエンパワーさせ, さまざまな人びとを連帯させているのだろうか.LVCのフレームの特徴は, 第1に, 貧しく, 弱く, 時代遅れと見なされていた小農が, 貧困と排除なき未来を切り開く存在として読み替えられていることにある. このフレームは, 「北」と「南」を横断するかたちでアグリビジネスの支配にあらがう政治的主体を定めることを可能にした.第2に, 小農の争いの中心が文化に置かれていることにある. 「食料主権」というスローガンのもと, 小農が自己の経済的利益だけでなく, 食べ物に関する自己統治を問題にする存在という位置づけを与えられているため, 労働者や消費者も含めた広い支持の獲得が可能になっている.第3に, 小農が知識を分かち合うということである. これは企業による知識の独占とは対極に位置づけられ, 小農は小規模であるがゆえに共存共栄できるという信念を作り出し, 相互の連帯を促進している.最後は, 小農は路上だけでなく, 農場でも抵抗することにある. 少ない資源を有効に利用し, 市場との関わりを限定的にしながら, 自らの労動力を使って生産する. LVCの運動の主体は, この方法を実践している組織された農村の専業農家だけでなく都市の半農を含み, 多様な生産者の層にまで広がっている.
著者
安藤 丈将
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.145-173, 2020-02-21 (Released:2021-09-24)
参考文献数
36

本稿では、社会運動と民主主義との関係を論じている。主に民主主義の研究者の議論に焦点を絞り、彼らが社会運動の役割をどう見ていたのかを明らかにしていく。 一節では、民主化研究の古典を検討しながら、その中で社会運動という行為者の民主化に果たす役割が重視されていなかったことを論じる。二節では、政治学と社会学の分業化の中で、民主主義研究と社会運動研究の分離が生じたことに触れた後、一九九〇年代以降、モダニティの構造変容とそれに伴う政治の再定義の状況の中、二つの研究領域の再統合が進んでいることを見ていく。 三、四節では、一九九〇年代以降の民主主義論者の中でもっとも意識的に社会運動を位置づけてきた一人であるアイリス・マリオン・ヤングのテキストを取り上げる。彼女は、社会運動が公式の政治制度の外側に政治参加の場を提供すると同時に、その場において政治的コミュニケーションの手段を多様化して熟議的な民主主義の実現に寄与するという形で、社会運動の役割を位置づけていた。 五節では、社会運動内部の民主主義と熟議システム論という、このテーマに関する最新の研究動向を概観しながら、社会運動と民主主義というテーマの今後を展望する。
著者
安藤 丈将
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.239-254, 2014

本稿では, ラ・ビア・カンペシーナ (LVC) を中心とする小農民の運動について考察する. LVCは, 現在のグローバル政治の中で影響力をもつ行為者であるが, いかなるフレームが農民をエンパワーさせ, さまざまな人びとを連帯させているのだろうか.<br>LVCのフレームの特徴は, 第1に, 貧しく, 弱く, 時代遅れと見なされていた小農が, 貧困と排除なき未来を切り開く存在として読み替えられていることにある. このフレームは, 「北」と「南」を横断するかたちでアグリビジネスの支配にあらがう政治的主体を定めることを可能にした.<br>第2に, 小農の争いの中心が文化に置かれていることにある. 「食料主権」というスローガンのもと, 小農が自己の経済的利益だけでなく, 食べ物に関する自己統治を問題にする存在という位置づけを与えられているため, 労働者や消費者も含めた広い支持の獲得が可能になっている.<br>第3に, 小農が知識を分かち合うということである. これは企業による知識の独占とは対極に位置づけられ, 小農は小規模であるがゆえに共存共栄できるという信念を作り出し, 相互の連帯を促進している.<br>最後は, 小農は路上だけでなく, 農場でも抵抗することにある. 少ない資源を有効に利用し, 市場との関わりを限定的にしながら, 自らの労動力を使って生産する. LVCの運動の主体は, この方法を実践している組織された農村の専業農家だけでなく都市の半農を含み, 多様な生産者の層にまで広がっている.
著者
安藤 丈将
出版者
武蔵社会学会
雑誌
ソシオロジスト : 武蔵社会学論集 (ISSN:13446827)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.31-65, 2015

本稿では,日本の脱原発運動が国政選挙に関わる際に,いかなる困難に直面したのかを論じる。具体的には,脱原発運動の参加者によって組織され,1989年7月の参院選に挑んだ「原発いらない人びと」(以下,「いらない人びと」と略記)の選挙キャンペーンを考察の対象にする。1~2節で1989年の政治状況と「いらない人びと」の選挙戦について述べた後,3~5節では,「いらない人びと」が選挙戦で直面した3 つの困難を明らかにする。1つ目は,日本社会党の存在である。社会党は,古い革新政党的な性格を持ちながら,反原発を唱えるというユニークな存在であった。社会党の存在は脱原発運動内の政党支持に関する判断を分岐させ,脱原発政党に運動の票が結集するのを妨げた。2つ目は,選挙の異なる目的の間に生じた矛盾である。「いらない人びと」では,多数の票を獲得して議員を国会に送り出すこと以外に,選挙戦の慣習的なやり方や参加者同士の関係性を点検し,脱原発社会の生き方を体現するという目的があった。しかしながら,脱原発的な生き方の表現は,票の効率的な獲得とは必ずしも調和せず,「いらない人びと」では前者が優先されていった。3つ目は,直接民主主義の逆説である。自分たちの代表を選びたいという願いの強さが,他の政党の候補者との相乗りを拒否させることにつながったため,脱原発の小政党間の戦略的な連携はうまくいかなかった。以上のように,他の政党との協力や多数の票を獲得するための選挙体制などに関して,「いらない人びと」が合理性や効率性よりも民主主義を優先させたことの意味を論じるのが,本稿のめざすところである。
著者
安藤 丈将
出版者
青土社
雑誌
現代思想
巻号頁・発行日
vol.43, no.15, pp.108-117, 2015-10
著者
安藤 丈将
出版者
武蔵社会学会
雑誌
ソシオロジスト : 武蔵社会学論集 (ISSN:13446827)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.1-37, 2019

本稿は,香港の広深港高速鉄道反対運動(反高鉄運動,二〇〇八~一〇年)が市民社会と社会運動に何を残したのかという問いを考察している。反高鉄運動は,高速鉄道の建設によって立ち退きを強いられた菜園村という小さな村の住民と外部からの支援者による抗議行動である。一節では,一九九七年に中国に返還された後の香港の社会運動の展開を追い,反高鉄運動の生まれた歴史的文脈を明らかにしている。「七一遊行」に代表される大規模イベントが繰り返し組織される中で,香港における脱政治的な文化に変化が生じた。二節では,二〇〇八年一一月,政府による菜園村民に対する立ち退き通告後の運動の展開を跡づけている。支援者たちは,高鉄プロジェクトをめぐる不正義を問題にすると同時に,香港における支配的なイデオロギーである資本主義的開発に対する根源的な疑問を呈したことを論じた。三節では,反高鉄運動の生んだ二つの遺産のうち,まず,非暴力直接行動の創出について論じている。「苦行」と呼ばれるユニークな路上の行動は,ローカルな運動がWTO反対運動のようなグローバルな運動と交錯する中で生まれた。本節では,「苦行」が慣習的なスタイルでは伝えにくい政治的主張を表現する方法であることを強調している。四節では,もう一つの遺産である農の発見に焦点をあてている。支援者たちは,菜園村民の農を基盤にした生活に刺激を受けた。それは,自分の食べる物を自分で作り,余分にできた物を近隣住民や友人にシェアしたり,露天で売ったりする暮らし方である。彼らは,土地を商業施設や住宅施設に変えるのではなく,耕して種を植えて作物を収穫することで生きていくやり方を見出した。以上のように,本稿では,反高鉄運動が路上における政治的表現の手法と農を基盤にした生活のモデルという二つの遺産を生み出したことを明らかにした。
著者
安藤 丈将
出版者
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻
雑誌
相関社会科学 (ISSN:09159312)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.3-21, 2013-03-01

Recent studies on “publicity” stress that multiple ideas and values must be integrated into public spheres from the view of normative political theory. In discussing publicity, this article focuses on repertoires in social movements, that is, modes of expressing their ideas and values. Although social movements have been regarded as political actors who works for democracy, few social movement scholars have discussed the roles of their repertoires in opening public spheres to voices of marginalised people. This article thus argues about the relationship between diversified repertoires and publicity. I, first of all, explore how “institutionalisation” of social movements, a conventional repertoire, leads to incorporate multiple ideas and values into public spheres. While institutionalisation helps social movement organisations to increase their influence on decision makings of powerful political actors, such as corporations and governments, it also enhances accountability within the organisations and democratises the organisational structure of the movements. Next, I move to arguing about the roles of “protests”, a confrontational repertoire, in diversifying publicity. This repertoire contributes to making values and ideas which are difficult to be institutionalised visible in public spheres. In discussing two different repertoires, I emphasise that these repertoires do not always lead to diversifying public spheres. While voices of marginalised people can be ignored and excluded in institutionalisation of social movements, protests have a risk in being viewed as violent actions and isolating activists from the public. This article concludes that different repertoires operate effectively in diversifying publicity when they are mutually complemented.
著者
安藤 丈将
出版者
武蔵社会学会
雑誌
武蔵社会学論集 : ソシオロジスト : Journal of the Musashi Sociological Society (ISSN:13446827)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.16, pp.1-38, 2014-03-22

1991年9月, 青森県上北郡六ヶ所村で,核燃料サイクル工場へのウラン搬入を阻止するために,女性たちがキャンプを張った。本稿は,この「六ヶ所村女たちのキャンプ」について考察する。参加者の多くは,六ヶ所村から離れて暮らしていたが,自分が直接被害を受けるわけではないにもかかわらず,なぜ抗議行動に加わり,何を問題にしようとしたのか。その問題意識を探るとともに,最近の民主主義論の成果を用いながら,女たちのキャンプの実践を読み解いていく。感情や個別性のような女性に固有とされる徳性の否定的な理解を読みかえ,脱原発の思想を練り上げること。友情という非公式の政治的資源を利用しながら,より深い政治的コミュニケーションをつくり出すこと。非暴力直接行動の中に,他者への依存の許容と気づかいを組み込むこと。以上の点について論じながら,本稿では,女たちのキャンプではいかなる民主主義が実践されたのかを明らかにする。
著者
安藤 丈将
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.65, no.2, pp.239-254, 2014

本稿では, ラ・ビア・カンペシーナ (LVC) を中心とする小農民の運動について考察する. LVCは, 現在のグローバル政治の中で影響力をもつ行為者であるが, いかなるフレームが農民をエンパワーさせ, さまざまな人びとを連帯させているのだろうか.<br>LVCのフレームの特徴は, 第1に, 貧しく, 弱く, 時代遅れと見なされていた小農が, 貧困と排除なき未来を切り開く存在として読み替えられていることにある. このフレームは, 「北」と「南」を横断するかたちでアグリビジネスの支配にあらがう政治的主体を定めることを可能にした.<br>第2に, 小農の争いの中心が文化に置かれていることにある. 「食料主権」というスローガンのもと, 小農が自己の経済的利益だけでなく, 食べ物に関する自己統治を問題にする存在という位置づけを与えられているため, 労働者や消費者も含めた広い支持の獲得が可能になっている.<br>第3に, 小農が知識を分かち合うということである. これは企業による知識の独占とは対極に位置づけられ, 小農は小規模であるがゆえに共存共栄できるという信念を作り出し, 相互の連帯を促進している.<br>最後は, 小農は路上だけでなく, 農場でも抵抗することにある. 少ない資源を有効に利用し, 市場との関わりを限定的にしながら, 自らの労動力を使って生産する. LVCの運動の主体は, この方法を実践している組織された農村の専業農家だけでなく都市の半農を含み, 多様な生産者の層にまで広がっている.