- 著者
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魯 成煥
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.49, pp.117-146, 2014-03
本稿は、九州のある篤志家が自分の私有地に朝鮮の義妓である論介を祀ることによって惹起した韓日間の葛藤について考察したものである。論介は、晋州の妓女というだけでなく、全国民に尊敬される愛国的英雄で民間信仰においても神的な人物である。韓国の国民的な英雄である論介の霊魂を祀った宝寿院の建立と廃亡は、韓日間の独特な霊魂観の対立を象徴するものであった。和解と寛容、平和という純粋な理念に基づいて行われたとしても、当初から様々な問題点を抱えていた。論介にまつわる伝説を歴史的な事件として理解し、命を失った論介と六助に対する同情から彼らの墓碑が造成され、韓日軍官民合同慰霊祭が行われた。これを日本人は、怨親平等思想に基づいた博愛精神の発露だと表現するかもしれない。しかし韓国人はそれとはまったく違う感覚で見る。つまり、それは敵と一緒に葬られることであり、霊魂の分離であり、祭祀権と所有権の侵害というだけでなく、夫のある婦人を強制的に連行し、無理やり敵将と死後結婚させる行為だと考え、想像を超える民族的な侮辱であると感じるのである。この問題は外交問題にまで発展し、韓国政府は日本人篤志家に対し、その私有財産の返還を求めた。その結果、論介の影幀と石碑は韓国側に返され、また合同慰霊祭もしないことになった。論介は日本で夫婦円満と子孫繁昌の神になりつつあったが、これによりあっけなく途絶えてしまった。言い換えれば、韓国人の子孫らは、論介が日本の神になるのを拒んだのである。まさに宝寿院の荒廃は、こうした韓日間の葛藤を象徴している。