著者
全 美星
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.205-219, 2011-10

広津柳浪『七騎落』(「文芸倶楽部」明治三〇年九月)の主人公平野三千三は、日清戦争に従軍し「七騎落の勇士」として故郷の野州松山に華々しく凱旋する。彼を熱烈に歓迎する村民の姿は、日清戦争によって「戦功」というものが新しい価値として明治社会に台頭してきたことを意味する。「金鵄勲章」によって「戦功」がさらに確定されるとき、地方の農民であってもその出自や身分に関係なく社会に認められ、立身出世できる可能性が開かれると考えられたのである。だからこそ、金鵄勲章受章を期待される平野三千三に、戦前にはあり得なかった富裕な村長の娘との結婚話がもたらされたのだ。 結局、三千三は論功行賞にもれてしまい、縁談は流れ、村人達に爪弾きされる悲惨な結末を迎えるが、実は、受勲を果たせなかったことに三千三の悲劇の根本的な原因があるのではない。それは、金鵄勲章受章者発表の前に、既に三千三が荒れすさみ、村民との葛藤が高じていた様子から窺える。両者の葛藤からは、次の二つの点を指摘できる。まず、出征・戦場経験・凱旋を通して、国家の誉れ高い「軍人」という自己認識を抱く三千三が、今や村人たちのような「農民」ではないと考えていること、ところが、村人は彼のそのような自己認識を認めない点をまず挙げられる。次に、村人にとって「戦功」は、いくら粗暴であろうとも凱旋勇士なので受け入れざるを得ないと覚悟するほどの、確固たる価値にはなっていなかった点である。 つまり柳狼が描いているのは、論功行賞の不公平さ等による悲劇というよりは、「名誉の軍人」という確固たる自己認識を有し、「戦功」という新しい価値を社会に通用するものとして確信したことによる悲劇だ。一時は「勇士」と呼ばれた元兵士たちの受け皿が、戦後の明治社会には存在しなかったのである。柳浪の明治に入って新しく移入された思想や理念や価値観に対する深い不信感が「七騎落」にも示されている。

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