- 著者
-
田代 慶一郎
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.32, pp.227-259, 2006-03
『弱法師』は能の五流で現行の曲であって上演も稀ではなく、演者に人を得れば、素晴らしい舞台として輝くこともある。『弱法師』は世阿弥の伝書『五音』によって観世元雅の作であることが知られている。ところが、一九四一年元雅原作の形を伝える「世阿弥自筆本」が発見されたが、それによると、現行のものと元雅の原作とは可成りの違いがあることが分かった。こうして『弱法師』と名乗る能が二つ併存することになった。弱法師はもと高安通俊の嫡男俊徳丸であったが、継母の讒言によって、家を追放された。彼は悲しみのあまり盲目となり、今は乞食となって天王寺の傍らで、芸人として暮らしている。悲惨とも言える境遇にありながら、この青年に不思議な明るさがあるのは、盲目となることによって得た詩的想像力が彼にはあるからである。この盲目の詩人による詩的飛翔こそが『弱法師』という曲の魅力であって、このことは元雅原作においてもまた現行曲においても変わるところはない。現行曲は類型的な親子再会の能という構成を持ち、登場人物もその親と子の二人だけである。曲全体が単純化された結果、清澄な悟りの境地にいる孤独な青年の姿を浮き彫りにすることになった。それだけ詩的に純化されたということもできる。これに対して、「世阿弥自筆本」には俊徳丸の妻や天王寺の僧侶が登場し、それとともに天王寺の彼岸会に寄り集う群衆のにぎわいも漂っている。それだけに、この参詣人を相手に芸人として活躍する弱法師の姿もより明確な輪郭を持つ。妻の存在や芸人としての職業のような、弱法師の生活を支える現実的な背景が書き込まれているところに原作の第一の特色がある。第二の違いは劇構造に関するもので、「世阿弥自筆本」でも最後は親子の再会によって終るのだが、この場面に至るまでは高安通俊は正体不明の人物であり、俊徳丸の方もただ弱法師と名乗る乞食であって、再会の場において初めて俊徳丸であることが明らかになる、という構造になっている。元雅の原作は、最後の場面において主人公弱法師を万人周知の「俊徳丸伝説」に引き渡すことによって観客を驚かせる、そういう意外性の劇作法によって作られている。しかし、このサプライズのドラマトゥルギーは、所詮一回限りのものであって、仮に初演で成功を収めたにしても、再演は難しい。そこに元雅原作の『弱法師』が創演後、三年後のただ一回の上演記録を残しただけで、消息を絶ってしまった理由があるように思われる。それから百五十年から二百年にわたる沈黙を経て、「室町末期筆無章句本」と呼ばれる写本が現れるが、ここには既に妻の存在は無く、高安通俊の名ノリが天王寺僧侶の名ノリの前に来るダブル名ノリの形で曲は始まっている。『弱法師』が公式の場で上演されるようになったのは徳川中期、綱吉の頃とされるが、その時には天王寺の僧侶も抹殺され、既に親子二人の形になっていた。現行五流の『弱法師』はこの時上演された形を源流としている。この論文の主旨は、今や歴史の霞の彼方に隠れてあまり興味を持たれることのない元雅原作『弱法師』を、「世阿弥自筆本」というテキストを通じて、読解し解明せんとしたところにある。