著者
長田 俊樹
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要
巻号頁・発行日
vol.20, pp.81-123, 2000-02-29

『播磨国風土記』の一節に、動物の血、とりわけ鹿の血を稲作儀礼としてもちいる記述がある。この一節は、折口信夫など、おおくの学者が引用している。そこで、この引用がだれによって、どのようにおこなわれてきたのか、検証するのがこの小論の目的である。 引用した例をみると、おおきく三つの分野がある。それは民俗・民族学、日本史・考古学、そして比較神話学である。民俗・民族学者はこの一節と現代にのこる日本の民俗やアジア諸国の民俗とむすびつけてきた。一方、日本史・考古学分野では、日本の歴史にそって、同様な民俗をみつけだそうとしてきた。さらに、神話学者はハイヌウェレ型神話との関連を指摘した。それぞれの見解には納得できるものがふくまれているが、欠点もあった。(以上、『日本研究』第20集掲載) 結論として、筆者はこれを稲作儀礼として、アジア諸国の稲作文化域を想定しながら、コンセンサスのえられる見解を今後とも模索したい。そのさいには、あらかじめ想定された演繹法ではなく、帰納法で結論をみちびく所存である。また、試論として東南アジアでおこなわれる水牛供犠との関連性についてその可能性を指摘した。

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編集者: Pat457
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