著者
AhamedMohamedFathyMostafa
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.19, pp.105-121, 1999-06

「戦争」というテーマは安岡章太郎の少年時代及び青年時代そして父親がなくなるまでの壮年時代を題材にした作品の多くに、背景として取り上げられている。その中から、この論文では『愛玩』(一九五二年発表)を取り上げ、安岡章太郎はいかにこの作品をもってシンボリックに自分の中の「戦後」を表現したのか、という点を探ろうとする。そこで先ず、安岡章太郎の心の中に「戦争」のイメージを作り上げただろうと思われる幾つかの要素が取り上げられる。1、 少年時代から、軍人だった父親の仕事の都合のせいで転校生の生活を数回も強いられ、結果的に学校嫌い・勉強嫌いになり自分の世界に閉じこもってしまうわけだ。これで彼は軍および戦争に対して自分なりのイメージができてしまったのではないか。2、 太平洋戦争の終わりころに入隊をしたときの嫌な思い出。3、 敗戦の時期を伴った安岡章太郎の発病(脊椎カリエス)およびその長い闘病生活。4、 敗戦後の安岡章太郎家族三人による生活無能力の情けなさ。5、 両親の夫婦関係悪化。6、 戦場からの父親の不名誉な帰還。7、 母親の発狂。以上の七点の中から、この論文では、特に三点目から七点目まで取り上げてみた。これは『愛玩』からいくつかの引用と照らし合わせながら考えてみた。また、以上の七つの要素をもとに、安岡章太郎の胸の中にある種の「敗戦の後遺症」と呼び得るものができたのではないかと考えた。結論とするところは、愛玩つまりウサギは日本国民の「精神」がシンボリックに描かれていて、安岡章太郎一家三人、つまり日本国民に敗戦の後遺症の早期回復の希望を促すものではないかというのが一つの点である。もう一つの点は、いわばこの作品ではもしウサギが日本精神を表すものなら、これはまた「日の丸」のシンボルではないだろうかという点である。ウサギの白い毛や赤い眼が大事なキーワードではないかと思われる。

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