著者
伊藤 徹
出版者
関西大学東西学術研究所
雑誌
関西大学東西学術研究所紀要 (ISSN:02878151)
巻号頁・発行日
no.44, pp.35-53, 2011-04

本稿は、2010年5月7日ロンドン大学東洋アフリカ学院(School of Oriental and African Studies) での講演のために準備されたテクストに若干筆を加え、論文として仕上げたものである。テクストは、当初日本語で書かれたものを、著者のコントロールのもとで、薄井尚樹博士(シェフィールド大学)が翻訳するというかたちで成立した。本論が問題にしたのは、明治維新以来の日本の近代化を支えた基本的な虚構的言説の交替である。高橋由一の造形活動を支えた国家の神話は、森鴎外にも触れつつ論じたように、明治後半以降旧来の家共同体との連結を失うことによって、空洞化していったが、その後『白樺』 派やその周辺の芸術家・知識人などによって語られた大正期の個人の理念も、同時期の西洋文化の模倣という性格を脱しきれず、昭和期にはまた別な国家という虚構に吸収されていった。新たな神話の形成に参与した日本画家・川畑龍子の作品に見られる国家の過剰な美化は、かえって根を失った人間存在を際立たせている。そうした喪失感は、同時期の保田與重郎の民族的伝統の称揚の背後にも見られるのだが、この批評家と同世代に属する戦後美術の旗手・岡本太郎においても、その「主体性」は、independency と訳されているが、それは人間存在の基盤喪失を際立たせようと意図してのものである。論究は、この喪失によって開かれてくる場所、いってみればindependencyのinが、有用性の徹底化としての近代化の必然的帰結であり、私たち自身に課せられた歴史的問いでもあることを示して、結びとした。

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こんな論文どうですか? 日本近代の芸術の時代精神とその哲学的意味--高橋由一、『白樺』派、川端龍子などをてがかりとして(伊藤 徹),2011 https://t.co/ADVK0wefSN

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