著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.82, pp.95-103, 2015

『浮世の画家』の邦訳者によれば,翻訳にさいしてカズオ・イシグロは,作中の「大正天皇の銅像」を「山口市長の銅像」に訂正した。この天皇の抹消は,その場面が持つ意義から,主人公の「戦争責任」をめぐる思考における,天皇の無視を反復するものとして見ることができる。「戦争責任」をめぐる言説における天皇の位置と,この作品で「浮世」(あるいは「浮遊する世界」)と呼ばれているものが,主人公の疑心暗鬼をかきたてるホンネとタテマエの使い分けにほかならないことを考えあわせると,この天皇の抹消は重層的に決定されていることがわかる。すなわち,主人公がおそれる左翼の文脈では,天皇が「浮遊する世界」に関連しているが,彼がかつて属した右翼の文脈では,天皇はむしろ「浮遊する世界」の克服に関連している。さらに,この両者を同時に抑圧する天皇の無視は,昭和天皇に帰せられる空虚な自己批判の身振りの反復によってなされるのである。

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