著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.82, pp.95-103, 2015

『浮世の画家』の邦訳者によれば,翻訳にさいしてカズオ・イシグロは,作中の「大正天皇の銅像」を「山口市長の銅像」に訂正した。この天皇の抹消は,その場面が持つ意義から,主人公の「戦争責任」をめぐる思考における,天皇の無視を反復するものとして見ることができる。「戦争責任」をめぐる言説における天皇の位置と,この作品で「浮世」(あるいは「浮遊する世界」)と呼ばれているものが,主人公の疑心暗鬼をかきたてるホンネとタテマエの使い分けにほかならないことを考えあわせると,この天皇の抹消は重層的に決定されていることがわかる。すなわち,主人公がおそれる左翼の文脈では,天皇が「浮遊する世界」に関連しているが,彼がかつて属した右翼の文脈では,天皇はむしろ「浮遊する世界」の克服に関連している。さらに,この両者を同時に抑圧する天皇の無視は,昭和天皇に帰せられる空虚な自己批判の身振りの反復によってなされるのである。
著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.231-243, 2013-10-10

シェイクスピアの『ハムレット』は『十二夜』に次いで書かれたとするのが通説的であるところ,両者の構造的対比から得られるところは大きい。ジャック・ラカンは『ハムレット』を,ガートルードの欲望の対象の位置がクローディアスによって過剰に占められており,そのことがハムレットを精神的に動揺させる劇として解した。これを『十二夜』に適用すれば,オリヴィアの欲望の対象の位置が,過剰な喪によって逆に空位のまま保たれていることで劇が展開している,という構造が明らかになる。さらにマルヴォーリオいじめのサブプロットをトービーのハムレット的状況として解すれば,この二つの劇はちょうど裏返しの関係にあることになる。このように,中心となる女性の欲望をめぐって,一方では対象の位置を占めるものが破壊される悲劇が描かれ,他方では対象の位置を占めようとする人々が奔走する喜劇が描かれ,後者の喜劇のただなかに,前者の悲劇を予告する主題が含まれているのである。