著者
新田 孝行
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.61-85, 2022-09-30

あるインタヴューでジャン=クロード・ビエットは,批評家としては一義的な関心の対象である演出が自ら映画を監督する際は二次的な問題になったと述べている。ヌーヴェル・ヴァーグ以後の批評における特権的な価値基準だった演出よりも重要になったのは俳優と人物(役柄)の関係だった。俳優が役を演じることを嫌ったロッセリーニやブレッソン,ゴダールらに対し,ビエットは,パゾリーニとともに,誰もが日常生活でつねにすでに演じているという前提から出発し,その「ドラマ性」を映画に取り込んだ。彼は親しい仲間でもある俳優を観察し,私的な会話での発言を台詞として採用して役を当て書きした。こうした撮影以前の段階が擬似的な演技指導の役割を果たすことで,ビエットの映画では俳優本人の過去の生が人物に反映され,映画内の物語に先行する時間が表現される。
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.94, pp.25-55, 2019-09-30

条野伝平は、今ではほぼ忘れられた作家であるが、幕末には山々亭有人の号で人情本の作者として人気を博していた。明治維新後の条野は、一旦創作活動から手を引き、新興の新聞界に身を転じる。彼が『東京日日新聞』を経て一八八六年に創刊した『やまと新聞』は、連載小説を売りにする典型的な小新聞として大成功をおさめた。同紙では条野自身も採菊散人の号で創作活動を再開し、ふたつのシェイクスピア物を残している。本論は、そのうちのひとつである『三人令嬢』(一八九〇)と題された『リア王』を読み解く試みである。幕末・維新の動乱期を経て新聞界へ転身する条野の生涯を素描したうえで、『三人令嬢』の概要を紹介し、同作が、探偵小説という当時の最先端の流行を取り入れて新しい読者への訴求を図りつつ、戊辰戦争期の諷刺錦絵的手法を援用して旧幕以来の古い読者のノスタルジーにも応える、したたかで豊かなテクストであることを明らかにする。
著者
沖田 瑞穂
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.68, pp.289-310, 2010
著者
近藤 弘幸
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.197-230, 2022-09-30

日本で最初に上演された『テンペスト』は、魔術の女王こと松旭斎天勝が舞台に掛けたものである。天勝は、師・松旭斎天一が生み出した、奇術と演劇を融合させる〈奇術劇〉路線を継承し、発展させた。第一節では、天一の『間違い情夫』の概要を紹介する。天一一座はこの作品を持って植民地・台湾へ渡っているが、第二節では、この頃から天勝の性的魅力が一座の売り物になっていたことを明らかにするとともに、一座の公演が、宗主国の文化的優位を印象づける働きを持っていたことを指摘する。第三節および第四節では、天勝の『サロメ』、『テンペスト』の概要を紹介する。第五節では、勧業共進会で『サロメ』を披露するため渡台した天勝一座が、共進会の延長により『テンペスト』を上演することとなったことを明らかにし、植民地の博覧会でこの作品が上演された意味について考察する。最後に、再び渡台した天勝が上演した『地獄祭り』という作品の概要を紹介する。
著者
西川 広平
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.191-219, 2021-09-30

大江広元を祖とする鎌倉幕府の御家人長井氏を対象に、一三世紀から一四世紀にかけての同族間ネットワークの推移について考察し、文士である広元一族による在地武士の糾合と所領支配は、主要な交通路の要衝を広域的に掌握することで実現したこと、また一四世紀前半に長井惣領家を中心にして、庶子家および広元末裔の御家人との間に二重の同族間ネットワークが成立したこと等を明らかにした。これらは、執権北条氏との連携や幕府の支配体制に依拠することによって実現・成立しており、鎌倉幕府滅亡や室町幕府の政治体制の変化により、長井氏は政権の中枢を占める地位を喪失するとともに、その同族間ネットワークも解体した。これらの考察の結果、御家人の移動が列島規模で活発化した一三・一四世紀を通して、武士団のネットワークが維持される基盤の多様性を指摘した。
著者
矢嶋 翔
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.153-189, 2021-09-30

本稿は『相国寺供養記』の写本の一つであり、東北大学附属図書館内狩野文庫が所蔵する『相国寺供養日記』(以下、狩野本と表記する)の史料紹介と翻刻を行うものである。『相国寺供養記』とは、北朝の公家である東坊城秀長が執筆した明徳三年(一三九二)八月二十八日における万年山相国承天禅寺(相国寺)の慶讃供養に関する記録である。 右史料は、従来、『群書類従』釈家部所収本(以下、群書類従本)が善本として研究利用されてきたが、狩野本を調査した結果、群書類従本に見られない記述を数箇所確認することができた。『相国寺供養記』の全容を把握するためには、群書類従本以外の写本の検討を通した『相国寺供養記』の復元作業が必要である。本稿では狩野本の翻刻掲載を通して、『相国寺供養記』の研究の前進を試みた。
著者
新田 孝行
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.241-265, 2021-09-30

フランスの映画監督・批評家のジャン=クロード・ビエット(1942〜2003)はクラシック音楽の愛好家でもあり,演出家を指揮者,俳優を声という楽器の演奏者と考えていた。長編デビュー作『物質の演劇』(1977)はこの理念の実践である。主人公の2 人の男女はオーケストラの元団員として設定されており,人物としての性格と演じる俳優の演技は,それぞれが演奏を共にした指揮者の音楽的個性を反映する。一方,本作を特徴づける,同じ単語やフレーズが異なって解釈される言葉遊びは,同じ楽譜から様々な演奏解釈が生まれる西洋古典音楽の実践に類比的であり,言葉の演奏と呼ぶことができる。過去に作曲された作品を解釈する演奏という実践は,物語世界に先行する時間をいかに表現するかというビエットの問題意識に解答を与えた。聞き間違いによって同一性から差異が生まれるプロセスを記録するビエットの方法は脱構築的であり,似てはいるが本来異なるものをモンタージュによって同じものに見せてしまうゴダールの方法と,目的は共通するかもしれないが,対比的である。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.1-28, 2022-09-30

フォンテーヌ・レ・ブランシュ修道院は隠修士の共同体に起源を持ち,サヴィニー会,シトー会と帰属の変更を経験した。本稿は1200年頃に院長ペレグランが書いた修道院の歴史を分析対象として,そこでどのように共同体の制度化を正当化しているのか,また,どのように院長の統治を評価し,修道院の財産を保護しようとしているのかを検討する。この史料の叙述編の検討から,隠修士の時代の理想化はあまり見られず,遺産として東方からの聖遺物が重視される一方,制度化が正当な手続きでなされたことを強調する点が指摘できる。次に院長の事績の検討から,財産を増やす能力や地域の人間関係を維持する能力が重視され,院長ロベールの選挙の正当性が暗に主張される点が注目される。最後に文書編の検討から,教皇文書によって修道院の制度的な帰属や地位が表現され,歴史的・象徴的に特別に重要とみなされた証書が選択的に採り上げられている点が指摘できる。このようにペレグランの歴史叙述からは共同体のアイデンティティと財産の分かちがたい結びつきが看て取れる。
著者
渡辺 浩一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.94, pp.117-150, 2019-09-30

本稿は、近世後期の江戸における火事見舞と民間施行の関係について論じる。火事見舞については金融商播磨屋中井家と作家滝沢馬琴の例によって分析した。その結論は以下の通りである。火事見舞とは、類焼範囲が異なる火災が繰り返されることによって物品提供者は同時に物品受取者にもなることができる、すなわち物品受取者と提供者の互換性=互恵性があると言える。さらに、物品提供と労働力提供の二つの局面があり、提供された物品が労働力提供者に供給されるという構造になっていた。これは、社会関係資本の多い被災者を媒介として、面識がない物品提供者と労働力提供者が結びついていることを意味する。しかも両者の関係は、酒食と労働力の交換関係であることを押さえておきたい。また、これは水害時に行われた民間人による施行と類似する部分があることが明らかになった。
著者
落合 隆
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.81, pp.239-267, 2015

ルソー政治哲学を理解する鍵概念の一つが「一般意志」である。一般意志はルソーの発明にかかるものではなく,17-18世紀のフランスにおいて拡がった概念である。もともとアルノーやパスカルにあっては,一般意志とは,全ての人類を救済しようとする神の意志であった。マルブランシュは,神の一般意志に恩寵の法のみならず自然法則を含ませた。バルベイラック,モンテスキュー,ディドロらを通して一般意志概念は世俗化され社会化された。ルソーに至って人民の政治的意志となった。ルソーの一般意志には,市民が共通認識形成のために特殊意志を一般化する「一般性」のモメントと,市民が従う法を自らつくる「意志性」のモメントがある。ルソーは,主権者人民の一般意志によって,共通の安全のみならず各人の自由を実現する新たな結合およびその維持と,最終的には人類が自ら招き寄せた悪からの救済をめざす。
著者
沖田 瑞穂
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.83, pp.109-129, 2016

ヒンドゥー教の主神の一人シヴァと,日本のスサノヲ神には,八つの点で特徴的な類似が認められる。1.破壊と生殖:シヴァは時が来ると世界を破壊する破壊神であり,スサノヲはその行動によって世界を危機にさらす。他方,シヴァはリンガに表されるように生殖の神であり,スサノヲは豊穣の地下界と一体化して,豊穣神オホクニヌシに試練を課す。2.〈教示する神〉:シヴァはインドラの欲望を戒め,スサノヲはオホクニヌシを試練によって導き祝福を与える。3.悪魔退治と武器:シヴァは悪魔の三都を破壊し,英雄アルジュナに武器を授ける。スサノヲはヤマタノヲロチを退治し,それによって得た剣をアマテラスに献上する。4.荒ぶる神・罰・(宥め):英雄神であると同時に両神は荒ぶる神でもある。5.暴風神:シヴァの前身ルドラは暴風神,スサノヲも自然現象としては暴風雨。6.文化:シヴァは踊り,スサノヲは歌と関わり,世界のエネルギーを表す文化と関連する。7.女性的なものとの一体化:シヴァはシャクティとして妃と一体化し,スサノヲは冥府の主であることによって母神イザナミと一体化している。8.イニシエーションを授ける:シヴァはアルジュナに,スサノヲはオホクニヌシに。 このように多くの類似を有するが,両神の間に何らかの系統的関係は想定できず,自然現象としての暴風に基づく神格として,別個に形成された性質が偶然に一致したものと考えることができる。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.1-27, 2020-09-30

本稿は『レラスのポンスの回心に関する論考とシルヴァネス修道院の始まりの真の物語』を分析の対象として共同体が起源をどのように記憶したのか,それが作成された状況においてどのような意味を持っていたのかを明らかにすることを目的とする。シルヴァネス修道院の第4 代院長ポンスは1160・70年代に内外の動揺を抑えて修道院の規律を立て直す改革の一環として創建者と共同体の歴史の編纂事業を行った。この史料の検討から重要な特徴として,現在と過去を統合するためにシトー会と共通する荒れ野や清貧や労働の主題が強調される一方,隠修士時代からの共同体の慈善の伝統の連続性とシトー会への加入手続きの正当性が主張されている点が挙げられる。また,初期の施しによる経済からシトー会時代の蓄積と生産の経済への移行が描かれるとともに,手の労働や執り成しの祈り,さらには緊急時の食料支援の物語を通じて修道院の富が正当化されている点が注目される。
著者
新田 孝行
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.109-133, 2020-09-30

ジャン・グレミヨンの『ある女の愛』(L’Amour d’une femme,1953年)は仏伊合作映画として製作された。物語の中盤で亡くなる老学校教師の埋葬の場面で,弔辞(oraison funébre) を読む司祭を演じるのはイタリア人俳優パオロ・ストッパだが,そのフランス語吹き替えは監督自身が行った。俳優経験のないグレミヨンだが,自作のドキュメンタリー映画では常に朗読を担当しており,その延長で劇映画の吹き替えも引き受けたと考えられる。弔辞の場面は本作において話の流れから逸脱したドキュメンタリー性を帯びており,グレミヨンの声によって読まれる弔辞は,フィクションの台詞であると同時に,教師役の女優ギャビー・モルレーが本作や過去作で演じてきたような女性たちに向けられた,彼の個人的メッセージとして受け取ることもできる。弔辞が依拠する頓呼法は,その場にいない人物に語りかけることでその人物があたかもそこにいるかのようなレトリック,すなわち活喩法を生じさせる。グレミヨンの映画的活喩法は死者となった人物の身代わりとして別の登場人物を差し出す。両者の間の人生の継承が彼の作品の秘められたテーマである。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.399-432, 2021-09-30

13世紀後半に成立したと推測される,古フランス語韻文による作者不詳の『フロリヤンとフロレット』は,シチリア王子として生まれたフロリヤンが数々の冒険を経て王位を奪還する物語であり,「伝記物語」の系譜に属する。この物語には複数のジャンルにまたがる先行作品群からの影響が認められるが,本稿では「アーサー王物語」のうちクレティアン・ド・トロワの作品群および,「聖杯物語群」の中核を占める『ランスロ本伝』の冒頭との比較を通じて,『フロリヤンとフロレット』の作者が行った筋書き・テーマ・モチーフの借用と独自の改変について検討する。
著者
船水 直子
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.321-355, 2020-09-30

A・S・バイアットは『千夜一夜物語』についてのエッセイの中で,次々に語られる物語は無限の表徴であり,永遠に繫がる点で死んでも遺伝子が受け継がれていく人間と同じだと述べる。同じ頃に『ナイチンゲールの目瓶の中の魔神:五つの御伽話』は書かれた。『ガラスの棺』の仕立て屋は,お姫様と結婚し弟王子も含め三人で暮らすことで豊穣を手にする。『ゴドの話』では付け足しのように語られる鍛冶屋の娘の消息の中に豊穣がある。『長女のお姫様の物語』では王国にとっては余分な存在となった姫が,森の老婆との心豊かな暮らしを手に入れる。『竜の息』では巨大竜が村を壊滅させた話が代々伝えられ,村人に真の豊かさを教える。『ナイチンゲール目瓶の中の魔神』では女,妻,母の役割を終えた主人公が魔神と出会い永遠に繫がる豊かな物語を手に入れる。余分な存在として運命に任せ生きることで,永遠に繫がる豊穣の物語を手にすることができるというテーマがこの短編集を貫いている。
著者
白根 靖大
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.77-110, 2022-09-30

現存する『台記』の中で、保延二年記は他の巻と異なる史料的性格を持つ。保延二年記は、一八世紀初め、伏見宮家に所蔵されていた南北朝期の写本を賀茂清茂が書写し、有職故実を生業とする万里小路尚房がさらに写本を作成したことを契機に流布していった。つまり、現存する保延二年記はほぼ近世に作成された写本であり、その活用のためには史料学的研究が求められるものの、そうした研究が進んでいるとは言いがたい。 本稿では、筆者がこれまで調査・研究を進めてきた中で得られた知見を整理し、改めて考察を加えたうえで、現時点で判明する保延二年記の写本系統を明らかにした。保延二年記は、藤原頼長の時代の故実作法等を伝える貴重書で、伏見宮本以外に類本がない稀覯書として、近世公家社会において高い評価を受けていた。それが本書の有した意義であり、流布していった大きな理由である。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.185-208, 2021-09-30

シトー会の中で例外的に重要な巡礼地となったポンティニーは同会の修道院と外部世界との関係に関して興味深い事例を提供する。本稿は聖エドマンドの列聖関連史料を分析の対象としてポンティニー修道院がどのように聖人崇敬と巡礼を正当化しようとしたのか,また,どのような巡礼地のあり方を目指したのかを明らかにすることを目的にしている。主に『殉教者聖トマスの約束に関する論考』と『列聖・移葬記』の二つの史料を用いる。前者は聖トマス・ベケットの約束あるいは予言の実現として修道院による聖遺物の所有を主張し,巡礼がもたらす富を正当化している。後者で詳述される聖人の墓の装飾をめぐる論争ではクレルヴォーのベルナールとマラキの墓とトマス・ベケットの墓がモデルとして争われ,巡礼地としてのあり方の対立で共同体は分断の危機に瀕した。この一見些細な事柄をめぐる論争はこの時期の修道院のアイデンティティの動揺と再編の過程を映し出している。
著者
北舘 佳史
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.89, pp.333-358, 2018

本稿ではカンタベリ大司教アビンドンの聖エドマンドの奇跡関連史料を分析の対象として13世紀半ばの奇跡の記録の実践のあり方を明らかにすることを目的としている。13世紀には教皇の列聖手続きの発展とともに審問記録という新しい史料類型が登場し,一方で教会や修道院が作成する伝統的な奇跡集は衰退していくと見なされている。ところで聖エドマンドの奇跡に関しては列聖調査委員会が作成した審問調書と聖遺物を所有するポンティニー修道院の作成した奇跡集の両者が存在している。これらの史料を形式面と内容面で比較検討して史料の性格を明らかにし,さらに修道院による奇跡話の収集と立証のあり方を検討して奇跡を記録することの意味について考察する。そこには聖性の承認に関する教皇側の論理と地域社会の側の論理が表れており,13世紀半ばにおいても聖性の評判について共同的に合意を形成する上で奇跡集の役割が残されていたことが結論付けられる。
著者
渡邉 浩司
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.84, pp.113-146, 2016

「アーサー王物語」の実質的な創始者クレティアン・ド・トロワが12世紀後半に著した『ランスロまたは荷車の騎士』は,ゴール国の王子メレアガンによるログル国の王妃誘拐と,勇士ランスロによる王妃救出に焦点を当てている。この物語の中では,ランスロとメレアガンの最初の決闘直前に,ログル王国の乙女たちが3日間にわたって断食と祈願行進を行ったことが記されている。本稿はこの部分に注目し,物語を季節神話とインド=ヨーロッパ戦士の通過儀礼から解釈する試みである。季節神話の観点から見た場合,「キリスト昇天祭」に王妃を誘拐するメレアガンは,早春の作物に危害を与える神獣としてのドラゴン(「豊作祈願祭」のドラゴン)を想起させる。一方で物語をインド=ヨーロッパ神話の枠内で検討すると,ランスロが「3度」戦うことになるメレアガンは,通過儀礼の過程にある戦士が倒す3つ首怪物に相当する。