- 著者
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石田 智恵
- 出版者
- 京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
- 雑誌
- コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
- 巻号頁・発行日
- vol.7, no.2014, pp.56-82, 2015-03-31
本論文は、1970年代後半アルゼンチンの軍事政権下で反体制派弾圧の方法として生み出された「失踪者」の大量創出という文脈において、日本人移民とその子孫、およびかれらのコミュニティがどのような位置を占めていたか、また「失踪」にいたった日系人たちの政治参加において出自やネイションはいかなる意味を持っていたのかについて、軍政下の国民社会をコンタクト・ゾーンとして捉えることで考察する。軍部は「反乱分子」とみなした人々を次々と拉致・拘留・拷問しながら、被害者を「失踪者」と呼んで行為を否認することで、社会全体を恐怖によって沈黙させた。この体制はコンタクト・ゾーンそのものを消失させようとするものである。日系コミュニティは、アルゼンチン社会における「日本人」に対する肯定的イメージの保守を内部規範とし、個人の政治への参加をタブーとすることで、軍政に翼賛的なモデル・マイノリティを生み出す装置として機能していた。70年代の若者たち「二世」の多くは「日本人」の規範を抑圧と感じ、そこからの離脱に向かった。重複する国家とコミュニティの規範を破り、別様の社会を求めて政治に参加することは「失踪」の対象となった。「日系失踪者」たちの思想や行動についての周囲の人々の語りから、かれらが身を投じた政治とは、個人の社会性・政治性の否定の上に成り立つ国民の安全保障を拒否し、コミュニティを媒介したネイションへの同一化ではなく、個人の位置を自ら社会につくりだすことで社会を変えるための方法であったと理解できる。