- 著者
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伊佐 迪子
- 出版者
- 佛教大学大学院
- 雑誌
- 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
- 巻号頁・発行日
- vol.44, pp.87-103, 2016-03-01
兼実家の姫君は入内し中宮へと上った。兼実家では中宮を支える為に、父親の兼実と母親役の讃岐が中宮御方へ常に候して扶持する。母儀は雑用や病気の世話などには携わらない。中宮の毎日は順調に推移する事である。中宮は里心を起しては大炊亭へ退居を望むので、その間は狭小では居住者側が身を竦めての毎日なのである。従って兼実家の様相は一変した。良經は後鳥羽天皇の文人上首に認められ、能保卿女を娶り、一条亭に居所を構え幸先のよい出立であった。兼実は所労に悩み、灸冶に頼り、内裏から助けを求め、讃岐に頼り切っている。中宮良經文人御不豫法皇