- 著者
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関沢 まゆみ
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.108, pp.513-542, 2003-10
本論は信仰と宗教の関係論への一つの試みである。フランスのブルターニュ地方にはパルドン(pardon)祭りと呼ばれるキリスト教的色彩の強い伝統行事が伝えられている。それらの中には聖泉信仰や聖石信仰など多様な民俗信仰(croyances populaires)との結びつきをその特徴とするいくつかのタイプが存在するが,なかでもtantadと呼ばれる火を焚く行事を含むタイプが注目される。フィニステール北部に位置するSaint-Jean-du-Doigtのパルドン祭りはその典型例であるが,聖なる十字架がtantadの紅炎の中で焼かれる光景は衝撃的である。ブルターニュ各地のパルドン祭りにおけるtantadの火の由来を考える上で参考になるのは,夏至の夜の「サン・ジャンの火」(feu de la saint Jean)の習俗である。この両者の比較により,以下のことが明らかとなった。伝統的な習俗としては夏至の火の伝承が基盤的であり,そこにパルドン祭りという教会の儀礼が季節的にも重なってきて,パルドン祭りの中にtantadの火として位置づけられたものと考えられる。伝統的な「夏至の火」には,先祖の霊が暖まる,眼病を治す,病気や悪いことを焼却する,という信仰的な側面が確認されるが,それは火の有する暖熱,光明,焼却という3つの基本的属性に対応するものである。また,tantadの火を含まない諸事例をも含めての各地のパルドン祭りの調査分析の結果,明らかになったのは以下の点である。パルドン祭りの構成要素として不可欠なのは,シャペルの存在と聖人信仰(reliques信仰),そしてプロセシオン(procession)である。パルドン祭りはカトリックの教義にのみ基づく宗教行事ではなく,ブルターニュの伝統的な民俗信仰の存在を前提としながら,それらの諸要素を取り込みつつ,カトリック教会中心の宗教行事として構成され伝承されてきた。したがって,パルドン祭りの伝承の多様性の中にこそ伝統的な民俗信仰の主要な要素を抽出することができる。火をめぐる信仰もその一つであり,キリスト教カトリックの宗教行事が逆に伝統的な民俗信仰の保存伝承装置としての機能をも果してきているということができるのである。