著者
大出 春江
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.323-354, 2008-03

本論の目的は、性と出産の社会統制が大正初期にどのように進められたのかを明らかにすることである。そのための方法としては一九一一年から一九一四年までの間に、雑誌『助産之栞』(一八九六年〜一九四四年まで刊行された月刊誌)に採録された当時の社会的事件の内容分析を行う。この時期の内容分析から重要な点を四つにまとめることができる。一つは親による子殺しという残酷な事件や不義密通といった性的逸脱の出来事を掲載しつつ、同じページに〈聖なる出産〉ともいうべき皇室の出産記事が囲みで同時に報道されていること。二つめに、陰惨で汚穢に満ちた事件の状況がリアリティをもって具体的に数多く記述されること。三つめには畸形児に対する露骨なまなざしが存在すること。四つめはこれらの記事が一九一四年末から忽然と消え、それらの陰惨な事件にかわって多胎児の誕生に対する注目、産児調節、そして人口統計が繰り返し登場するテーマとなっていくことである。これら四つの特徴は特に一九三〇年代の性と生殖の統制に関する一連の動向を考えれば十分納得できることばかりかもしれない。しかし、より具体的にどのようなメディアがどのような形で機能し、結果としてよい性と悪い性、好ましい出産と好ましくない出産、優性な子どもと劣性な子どもの振り分けが人々の意識に埋め込まれていくのか、そのプロセスと回路とを知ることができるだろう。その一翼を担ったメディアとして、この助産雑誌自体も重要であったが、衛生博覧会や児童展覧会といった装置は模型や現物を提示することで、都市の一般市民を対象に好奇や驚き、不気味さの感覚と共に正常なるものの価値を教育し、性や生殖そして健康の社会統制を進める重要な機能を担ったといえる。こうしたメディアを通じて都市から村落へ伝搬する形で、性と生殖の統制が進行し、人々の性と出産をめぐる日常生活意識が変容していったのではないだろうか。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (1 users, 2 posts, 1 favorites)

収集済み URL リスト