著者
沈 煕燦
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.63-84, 2016-06

日本の「失われた二十年」は日本経済の抱える問題の象徴であり、経済の停滞と崩壊の時代である。そして、その背景には、さしあたり、冷戦後の日本を支えてきた思想の崩壊があった。なかでも重要なのはデモクラシーの問題だ。本稿は、日本の「失われた二十年」と1967年の韓国小説、宝榮雄の『糞礼記』を比べて、デモクラシーの出現について考える。 本稿ではまずポピュリズムに関する最新の言説を紹介し、次いで冷戦体制が確立されようとしていた時代の韓国に目を向け、1960年の四月革命のとき芽生えたデモクラシーの可能性を探る。これは今日の韓国のデモクラシーとは似て非なるものではあろうが、『糞礼記』の登場人物たちの革命的性格に注目することによって、この時代が投げかけた問題を論じていきたい。彼らはならず者にされた人々、いわゆるルンペン・プロレタリアート、つまりデモクラシーが内包する排他性によって排斥され無視された人々である。本稿は、こうした人びとを政治的舞台に復権させることを目指すものである。

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