- 著者
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大賀 郁夫
Ikuo OHGA
- 出版者
- 宮崎公立大学
- 雑誌
- 宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
- 巻号頁・発行日
- vol.23, no.1, pp.1-21, 2015
近世において地域社会は自権断を保持し、自力解決は制限を加えながらも温存されていた。小稿では日向国延岡藩領を対象に、地域秩序を乱した場合、また乱すと見なされた「徒者」に対して、地域社会がどのような方策を取ったかについて検討した。常日頃から住民相互による「人品」監察が行われており、「人品不宜」者や「徒者」は、村替えや村からの追放が行われた。身内に「徒者」がいる場合は、本人はもとより親類・五人組・村役人たちの障りになる前に、親・親類から勘当・帳外れの申請がなされた。村が主体となって「徒者」を村外に追放した例も少なくなかった。治安を乱しかねない地域外からの往来者については、その宿泊を制限するなど厳しく対処された。藩は領内での行き倒れ人への処理・埋葬法などを細かく定め、後難を蒙らないよう細心の注意を払った。追放となった者も悪事をしていないことを確認し、旦那寺からの歎願という形を取って帰村が認められた。この場合、領主権力と地域社会の間に位置する旦那寺の存在はきわめて大きい。また大赦も帰村の口実が利用された。こうした「ムラ社会」は近代以降も生き続けることになる。