著者
清水 習 Shu SHIMIZU 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.67-92, 2022-03-10

本稿では、はじめに、イデオロギー研究としての新自由主義研究の一つのあり方を思想の進化過程モデルをもとに提示する。その後、その研究の初期段階となる「思想としての新自由主義」の系譜学的研究に着手し、新自由主義という思想がどのように欧米と日本において展開し、そして、発展していったかを明らかにする。最終的に、新自由主義の思想的系譜をもとに、思想としての新自由主義とはどのような思想であったかを批判的に考察することで、それが政治や社会の問題を経済的/経済学的効率性の問題へと論理転換していく思想であったことを明確にする。
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.37-50, 2018-03-09

ジョン・マクダウェルは、『心と世界』において、我々人間の概念能力は「第二の自然」であり、法則の領域に属さない「独特の」ものでありながら、同時に自然的なものでもあるという議論を展開している。本論文では、過激なプラトン主義、簡素な自然主義、非法則的一元論という三つの立場との違いを整理することで、「第二の自然」がどのような主張であるかを明確にする。その上で、「第二の自然」をマクダウェルの静寂主義的な傾向の発露として理解できることを指摘する。さらに、物理主義の側に立って、マクダウェルからの批判に対する応答を試みる。
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.103-119, 2020-03-06

本稿は、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入を検討することで、友人関係というインフォーマルな関係性が教師の介入に影響を受けること、そうした介入にジェンダー・バイアスが存在し、結果的に女子の関係性が劣位に置かれることを明らかにする。 先行研究は、ジェンダーの視点、インフォーマルな関係性、教師と児童生徒の再帰的関係のうち、いずれか一つが欠けている。これらの課題を克服するために、本稿では、女子の友人関係トラブルに対する教師の介入に着目する。分析に際して、Francis・Paechter(2015)が提示する三つの視点を用いている。 分析の結果、以下の三点が明らかになった。第一に、児童の関係性にかかわる教室秩序の形成にとって教師たちの理念や介入が重要であることである。第二に、児童間関係に対する教師たちの認識や介入に、ジェンダー・バイアスが歴然と存在し、女子たちは「関係性を重視する」という認識が、教師たちの介入を方向づけていたことである。また、教師たちは女子たちの関係を「ドロドロしたもの」と認識し、解決すべき課題にしているからこそ、何らかのトラブルが発生した場合、「トラブルの発端である関係性」そのものに焦点を当て、トラブルだけでなく女子たちの関係性にも介入していく。第三に、教師たちはケアの倫理が立ち現われやすい関係性に焦点化した介入を行いながら、その解決には自律的な主体であるという捻れた責任を女子に負わせていたことである。
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.26, no.1, pp.53-68, 2019-03-08

本稿では、マイケル・トンプソンが Life and Action (2008)において展開した「素朴な行為論」について、その全体像を明らかにした上で、検討を加える。トンプソンの議論はその独創性から高い評価を受けているが、他方でその独創性ゆえに、現代の行為論にとってどのような意義を持つのか、正確な評価が進んでいないという状況がある。本稿では、彼の議論を整理し、フレーゲ的方法の当否、行為間の類種関係の扱い、行為説明における心的状態の役割という三つの観点から検討する。
著者
四方 由美 中野 玲子
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.129-148, 2006

本論文は、映像メディアで伝えられる従軍慰安婦問題をめぐる言説が視聴者にどのように伝わるかについて、視聴調査のデータに基づき分析を行なったものである。戦後60年を経た現在においても、従軍慰安婦問題は様々な歴史認識が交錯する問題の一つであり、「従軍慰安婦」をめぐっては、いくつかの言説が存在している。本論文では、それらを整理した上で、2001年に「従軍慰安婦」問題を扱ったNHKの番組が、どのような言説の政治の下で改編され問題となったのかを明らかにするとともに、この番組は視聴者の「従軍慰安婦」問題の認識にどのような影響を与えたかについて、番組視聴調査の結果から考察を行なった。
著者
川瀬 隆千
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.77-90, 2004

学生のボランティア活動が盛んだが,「組織内部の運営上の問題」や「地域(外部)との連携の問題」などの課題も指摘されている。本論は,コミュニティ心理学の観点から,筆者自身が顧問を務める「学生ボランティア部」(学ボラ)の活動を検討し,学ボラにおける工夫を取り上げることによって,学生のボランティア活動を支援する方策を考えるものである。学ボラのミーティングに注目し,その組織運営の方法を検討する。ミーティングはケースの検討が目的だが,問題を解決するために,メンバー全員が知恵を出し合うことにより,円滑に運営されている。円滑な運営が可能なのは,ケース情報や少年イメージ,担当者の悩みなどをメンバー全員が共有し,知識や経験を蓄積するシステムを持つためである。学ボラにおいては,ケース検討会や合宿,歓迎会や送別会など,さまざまなコミュニケーションの場を,半ばイベント化して用意することによって,宮崎家庭・少年友の会や宮崎家庭裁判所との連携を保持している。友の会や家裁の十分なバックアップがなければ学ボラ活動は滞ってしまう。連携は活動継続のためにも欠かせない。さらに,継続的にボランティア活動を展開するには,顧問が適切な役割を果たさなければならない。本論では,顧問の役割を,スーパーバイザー,地域連携の媒介者,参加型理論構治安の3つの観点から検討する。
著者
大賀 郁夫 Ikuo OGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.1-26, 2018-03-09

幕末期の一連の政治史において、薩摩・長州・土佐・越前各藩など雄藩が、重要な役割を果たしたことは言うまでもないが、藩全体の八割を占めた九万石以下の小藩はいかにして幕末期を乗り切り、維新を迎えたのだろうか。本稿では、日向延岡藩七代藩主であった内藤政義が記した自筆『日記』から、元治~慶応期に譜代小藩である延岡藩の動向を考察した。政義の交際は、実家の井伊家、養子政挙の実家太田家、それに趣味を通じて交流のあった水戸徳川家など広範囲にわたる。元治元年七月の禁門の変以降、二度に及ぶ長州征討に政挙が出陣しているが、江戸にいる隠居政義は高島流炮術や銃槍調練に励む一方、政局とはかけ離れた世界に居た。政義は梅・菖蒲・桜草・菊観賞に頻繁に遠出し、また水戸慶篤と品種交換や屋敷の造園に勤しんだ。在所からの為替銀が届かず藩財政は破綻に瀕しており、慶応三年末、薩摩藩邸の焼き討ちを契機に政義は在所延岡への移住を決断する。六本木屋敷に養母充真院を残したまま、翌慶応四年四月、政義は奥女中や主な家臣家族ともども品川を出船し延岡へ向かった。幕末期の譜代小藩の動向を窺うことができる。
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.105-122, 2018-03-09

2017 年3 月に小・中学校の学習指導要領が改訂される告示が公示された。新しい学習指導要領は、小学校が2020 年度より、中学校が2021 年度より施行される。そこで本稿では、新しい学習指導要領をジェンダーの視点及びセクシュアリティの視点から整理することを通して、ジェンダー公正な社会を目指す上での課題について明らかにすることを目的とする。本稿で明らかになったのは、ジェンダー平等やジェンダー公正な社会の構築へ向けて、新たな学習指導要領が果たす役割は極めて小さいということである。むしろ、性別特性や性別役割分業を暗に前提とした記述も見られることから、ジェンダー不平等な社会の形成へ学習指導要領が貢献しているとも言えよう。また、文部科学省によって対応が示されたLGBTIの人々の存在についても、新学習指導要領では一切触れられていない。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.145-167, 2007

チャールズ・ベイツ、トーマス・ポッゲ、そしてマーサ・ヌスバウムがコスモポリタニズムに関する議論をリードしていると言っても過言ではない。ベイツとポッゲは、ジョン・ロールズの正義論を出発点としながらコスモポリタン正義論を構築してきた。しかし、ロールズはコスモポリタンではなく、むしろコスモポリタン正義論の批判者であり、そして国際正義論を提起している。ベイツもポッゲもともにロールズの国際正義論には批判的であり、それぞれ独自のコスモポリタン正義論を提示する。そしてロールズの正義論を批判的に論じてきたのがヌスバウムである。本稿では、最初に、ロールズの国際正義論の概要を述べ、その立場からのコスモポリタン正義批判について述べる。次に、ベイツの『政治理論と国際関係』をもとに彼のコスモポリタン正義について考察する。ベイツはホッブズに依拠する政治的リアリズムを批判する中で、国際的相互依存の深化(今日でいうグローバリゼーション)にともなって国際社会と国内社会の類似性に着目し、そして国家を自律的存在とみなしうるのはすべての人間であると論じる。ベイツは、ロールズの正義論をグローバルに拡張し、グローバルな分配の正義論を展開する。さらにベイツはロールズの立場を社会的リベラリズムと捉え批判する。そしてベイツに対する批判も検討する。
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.49-64, 2023-03-09

本稿では「できないこと」を共有しやすい小学校初任者教師が責任の分有を果たせるのか を分析することで、小学校初任者の困難を生み出す要因を明らかにした。 本稿では、初任者教師へ行ったインタビュー調査のデータをもとに分析を行った。分析の視点として、「責任の分有」を目指すヴァルネラビリティ・モデルを用い、初任者の業務や児童に対する責任が「誰にどのように担われているのか」を分析した。 初任者は入職直後から学級担任・授業者として質量ともに膨大である業務をこなしており、日々の仕事をこなすことで精一杯であった。また、初めて教師として働くため、「できない」ことも多く、それゆえの困難や悩みを抱えていた。そして、困難や悩みを周囲に共有できても、他の教師と責任の分有が行われることは少なく、担任として責任が紐づけられていた結 果(「責任の個別化」)、最終的には初任者が対応せねばならない状況になっていた(個業性)。 初任者であっても担任として「責任の個別化」から抜け出せないことは二つの問題がある。第一に、児童が「危害」に晒され続けるということである。学級担任業務と授業を初任者一人で遂行する、非常に無理のある現在の制度設計の皺寄せが全て、児童たちへ向かうことになる。第二に、初任者自身も「危害」へ晒される。長時間労働でなければ業務を遂行できないだけでなく、「できない」ことへ直面し、苦悩も含めてそれを周囲へ共有しても、助言や研修を通して「できるようになる(成長)」責任を初任者は求められており、そのことが更なる多忙・重労働という「危害」へ晒すことになる。
著者
山口 裕司
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.199-211, 2002-03-20

日本の政治の問題点は様々である。そのひとつは女性議員の少なさではないか。全世界の国会(下院ないし衆議院)における女性議員の比率を比較すると,1位はスウェーデンの42.7%,日本は7.3%で87位である。このデータは何を意味しているだろうか。男女共同参画社会を標榜する日本において,政治の舞台でこれほど女性の参加率が低いのは問題ではなかろうか。国民の半分以上が女性であるので,衆議院における女性議員の割合は低すぎる。こうした低さの原因は様々であろう。この論考では日本における女性政治家の現状を国と地方の二つのレベルで紹介する。次にこれほど日本で女性政治家が少ないのは何に原因があるのかを分析する。そして,日本に女性政治家を増やすにはどのような課題があるのかを検討する。その場合クオータ(割り当て)制の導入が不可欠であることが述べられる。最後に女性政治家が増えることのメリットを考察する。
著者
倉 真一
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.1-15, 2012-03-02

本稿では、紀元二千六百年奉祝の一環として、1940年に大阪・枚方遊園で開催された「肇国聖地日向博覧会」(日向博)をとりあげる。日向博はこれまで言及されることがほとんどない、いわば忘却された博覧会であるが、残された資料をもとに考察した結果、以下の点が明らかになった。第一に、紀元二千六百年奉祝事業をめぐる地方間、新聞社間、鉄道会社間の競争と対抗関係から、宮崎県一大阪毎日新聞一京阪電鉄の間に連携が生じ、この連携のなかで同博覧会が開催されたこと。第二に、同博覧会は「聖地巡拝」という名の観光(聖蹟観光)をテーマとしており、それは「肇国の聖地・日向」の立体パノラマによるスペクタクル化によって表象され、都市中間層を聖蹟観光に動員しようとするものであったこと。第三に、「おきよ丸」による神武東遷の再現航海事業と日向博が結びつけられていたこと。その背景には、ともに神話あるいは肇国の聖地のスペクタクル化であるという両者の共通性が存在すること。第四に、日向博における都市中間層の動員、「聖蹟観光」における皇室ブランドの活用などは、戦後の宮崎観光(新婚旅行ブーム)に姿を変えて引き継がれていった可能性が示唆されたこと。
著者
田中 宏明
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.147-173, 2009-03-06

トマス・ペッゲは、現代においてコスモポリタニズムを提唱する代表的な政治理論家であり、ロールズの国際正議論の忌憚のない批判者でもある。ポッゲのコスモポリタン正議論は自らのグローバル正議論に基づいており、そのグローバル正議論は、ロールズに従って、社会構造、とりわけ社会制度の観点から提起されている。ポッゲは、西洋の豊かな市民が形成するグローバルな制度秩序がグローバルな貧しい人々に対して危害を加えており、それゆえ、西洋の豊かな国々には、危害を加えないという正義の消極的義務があると主張する。ポッゲの制度的アプローチによれば、危害を加える制度秩序を支える人は、もし危害を被る人の保護と制度改革の推進に向け道理に適った努力をしないのであれば、その制度に協力し、消極的義務を犯しているとみなされる。ポッゲが提唱する制度的コスモポリタニズムも社会正義コスモポリタニズムもともに、人権の制度的理解に基礎を置く。制度的人権は、「人権は消極的義務のみを伴う」というリバタリアンの制約のもとで理解されている。ロールズの正議論に依拠するように見えても、ポッゲの理論は、それをグローバルに拡大するコスモポリタニズムではなく、リバタリアンの規範を前提に構築されており、それがポッゲ批判の焦点となっている。
著者
川瀬 和也 Kazuya KAWASE 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-12, 2021-03-10

本稿の目的は、行為者性に関する階層理論を整理し、その射程を明らかにすることである。現代行為論においては、心的態度の階層によって自律を説明し、これを通じて行為者性とは何かを明らかにしようとする階層理論が影響力を持っている。本稿では、H. G. フランクファートの階層理論、M. E. ブラットマンの計画理論、C. M. コースガードの実践的アイデンティティに訴える理論の三つを、心的態度の階層性に加えて何が必要だとされているかという観点から整理する。また、特にブラットマンの計画理論と、コースガードの実践的アイデンティティに基づく理論を比較し、両者において人格の同一性についての理解の違いが問題となっていることを示す。また、人格の同一性の捉え方によって、「操作の問題」への応答が変わることを明らかにする。これを通じて階層理論にとって人格の同一性をめぐる問題の重要さが増していることを明らかにする。
著者
山下 藍 Ai YAMASHITA
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1, pp.261-280, 2014

「目標の可視化・明確化」は、ゲーミフィケーションにおける必修要素と言えるが、心理学やインストラクショナルデザインなど、様々な分野においてその重要性は確認されている。そのためゲーミフィケーション要素を正しく認識、導入するにあたり、どのような方法で戦略を立て強化を行うかが重要である。そこで本論では、韓国語授業において「目標の可視化・明確化」の強化を行い、その結果、学習者の動機づけと学習効果にどのような影響を与えるのかについて論じる。また、授業での検証結果を基に強化方法を見直し、今後の韓国語授業において「目標の可視化・明確化」を含むゲーミフィケーション基本4条件をどのように強化していくべきか、具体案を示しながら述べることとする。
著者
田中 宏明 辻 利則 川瀬 隆千 竹野 茂
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.193-221, 2006

なぜ国際関係論を教育するかという問いに対してカントのコスモポリタニズムから回答できる。なぜならば、カントのみが戦争と平和、コスモポリタン秩序、そして世界市民教育ということを国際関係論において教育する理由をトータルに考える糸口を提供するからである。最初に、国際関係論におけるカント的伝統を否定的に規定している英国学派と、カントの平和論を肯定的に捉えそれに依拠するリベラリズムの代表的研究としてデモクラティック・ピース論を取り上げる。次に、カントのコスモポリタニズムについての理解を深めるために、国際関係論の議論の枠組みを越えて寺田俊郎らの哲学者の議論を踏まえ、カントのコスモポリタニズムについて考察する。ユルゲン・ハーバーマスによると、カントの平和連合の構想にいかなる問題があるか、そして現代のグローバルな情勢を踏まえて、カントのコスモポリタン秩序はいかに改めるべきかが明らかになる。さらに、カントのコスモポリタニズムの観点から、英国学派とデモクラティック・ピース論におけるカントのコスモポリタニズムの捉え方を批判する。最後に、世界市民教育とはどのようなものなのかをマーサ・ヌスバウムに依拠して考え、世界市民教育の立場から、国際理解教育とグローバル教育を批判的に検討する。
著者
福田 稔 Minoru FUKUDA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.157-177, 2022-03-10

This study assumes that the focus interpretation is involved in the major subject of multiple subject constructions of Japanese and argues that the focused elements with phonetic effects cannot be dropped and must be phonetically externalized. In doing so, it draws on three studies, namely Kuno (1973a, b), which focused on the interpretation of the nominative case marker gain standard Japanese, Miyagawa (2010), which focused on the Feature Inheritance analysis for the focus interpretation, and Nishioka (2013, 2018), which focused on case markers such as ga and no in the dialect used in Kumamoto Prefecture of Japan. If the subjects fail to receive a focus interpretation, the omission of ga and no is allowed because they circumvent the externalization condition on focused elements. The same analysis can be extended to the focused accusative case marker. It 1s inferred from our proposal that the fact that case markers aside from the nominative and accusative ones cannot be dropped is arguably connected with the availability of the focus interpretation induced by feature inheritance.
著者
大賀 郁夫
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.1-29, 2002-03-20

享保十一年,人吉藩預所である日向国椎葉山で横目役を勤める黒木六郎左衛門とその弟右田大六が,山中困窮を理由に杣山願を人吉藩に提出する。藩は「訳立難」として取上げないが,同十六年に至るまで六郎左衛門らは執拗に訴願を繰り返す。しかし藩が庄屋および願人らを吟味をした結果,六郎左衛門らの「私欲」によるものであると認定され,六郎左衛門は苗字取上げの上打首,大六は切腹を命じられて事件は落着した。しかし,この事件には不可解な問題が多く見られる。例えば六郎左衛門らの訴願手続きは合法的であり,公儀へ越訴や強訴,ましてや逃散したわけではない。訴願を繰り返しただけで死罪に処せられたのは何故か。六郎左衛門らも,再々度と訴願を執拗に繰り返したのは何故か。願書に連署した庄屋らが一切処分されないのは何故かなど,多くの疑問が残るのである。本稿では,「椎葉山杣山願一巻萬覚」などの基本史料を詳細に検討することにより事件の真相について考察し,この事件が宝永期の杣山請負における不正事件の告発で藩を揺さぶり,杣山願の許可を得ようとする六郎左衛門に対して,藩が彼らを処刑することで事件を隠蔽したものであることを明らかにした。
著者
大賀 郁夫 Ikuo OHGA 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-31, 2021-03-10

幕末期、諸藩にとって他藩の動向を正確に掌握することは、自藩の取るべき道を決定する指針になる最重要課題であった。 本稿では日向延岡藩を対象に、同藩が作成した文久二年の「風聞書 乾坤」の内容分析を通して、藩の探索システムを明らかにした。延岡藩では城附西方の高千穂・飛地宮崎郡・豊後にそれぞれ役所(代官所)が置かれ、そこを拠点に周辺諸藩の探索が行われた。各役所から届く風聞書の内容は多岐にわたり、情報提供者も上級武士階級から一般庶民に至るまでさまざまであった。 延岡藩が特に重視した探索対象藩は、薩摩藩・熊本藩それに豊後岡藩であった。「風聞書 坤」には九州諸藩の諸侯の評価が記されているが、評価が高いのは唐津藩世子小笠原長行・蓮池藩主鍋島直紀であり、岡藩主中川久昭や熊本藩主細川韶邦・久留米藩主有馬頼咸の評価は低い。この時期藩主の資質が求められていたことがわかる。文久二年という限定した期間の風聞書ではあるが、当時の民衆が諸侯や藩のあり方をどのように捉え評価していたかは、幕末期の地域社会を知る上でも重要である。
著者
住岡 敏弘
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.89-103, 2009-03-06

本稿は、アメリカ合衆国における人格教育に対する連邦政策の背景、政策の展開の特質と課題について明らかにした。人格教育運動は、1960年代以降の道徳教育方法の変化や若者の道徳の退廃状況に対して、アメリカが建国当初から重視してきた道徳教育を復興しようとする動きと捉えられる。その動きは、連邦政策のなかで学力向上政策と結びつき、人格教育に対する補助金事業をはじめ様々な連邦施策が開始された。人格教育に対する連邦政策の展開過程をまとめると、『危機に立つ国家』以降の学力向上への模索のなかで、学力向上に際して道徳性や規律の重要性が意識されてきた。その後、クリントン政権のもとでは、大統領自らが一般教書のなかで人格教育の重要性を訴える等、人格教育を推進していく連邦政府の姿勢が明確にされた。これらを背景として、『アメリカ学校改善法』のなかでは、人格教育に対する補助金がパイロット事業として制度化された。さらに、ブッシュ政権のもとで、『落ちこぼれ防止法』が制定され、同法のもとで人格教育補助金事業は正式な事業として位置づけられ、さらに連邦教育省の戦略プランにも「強い人格と市民性」の促進が掲げられるなど、人格教育は連邦教育政策のなかで確たる地位を確立してきたといえる。