- 著者
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伊藤 亜紀
- 出版者
- 国際基督教大学キリスト教と文化研究所
- 雑誌
- 人文科学研究 : キリスト教と文化 : Christianity and culture (ISSN:00733938)
- 巻号頁・発行日
- no.47, pp.33-50,図巻頭2枚, 2016-03
サルッツォのマンタ城サーラ・バロナーレに描かれた《九人の英雄と九人の女傑》(1420年頃)は、サルッツォ侯爵トンマーゾ3世(1356?-1416年)による教訓的騎士道文学作品『遍歴の騎士』の登場人物である。そのひとり、二本の槍をもつアッシリア女王セミラミスの姿は、ボッカッチョの『名婦伝』(1361-1362年頃)などで伝えられてきた「男勝りの烈女」や「息子と交わった淫婦」という彼女の本質を説明するものではない。 しかしその右隣にいるエティオペの、長い金髪を梳く仕種は、ウァレリウス・マクシムスの『著名言行録』(1世紀)が語る、女王が身繕いの最中にバビロニア陥落の報せを受け、すべてを擲って戦に身を投じたという逸話に合致する。そしてこのセミラミス像は、ギヨーム・ド・マショー『真実の書』写本(1390-1400年頃、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 22545)や『遍歴の騎士』写本(1403-1404年、フランス国立図書館所蔵ms. fr. 12559)にもすでに見られる。ジェンティーレは、マンタにおけるセミラミスとエティオペの図像の取り違えは、画家が壁画制作にあたって直接手本にした図に起因すると考えた。一方デベルナルディは、『遍歴の騎士』におけるセミラミスとエティオペの詩節が、本来一続きのものであったとみなし、マンタのセミラミスは実際はアマゾネスのメナリッペ、そしてエティオペこそセミラミスであるとした。たしかにエティオペの皇帝冠や宝玉、そして「青地に三つの金の玉座」という、フランス王家と同じ配色の紋章は、彼女が9人の女傑のなかでも特別な存在であることを示している。さらにアーミンで裏打ちされた黄金の縁取りのマントは、下に着た女性の服を覆い隠し、その男性的気質を強調する役割を果たしている。 ウァレリウス・マクシムスが語り、ボッカッチョが加筆し、そしてフランスの写本挿絵で視覚化された「髪を梳く女傑」は、代々フランスとの政治的な繋がりを強化し、その文化の影響を色濃く受けてきたサルッツォで、再度大規模に描かれた。しかしこの雄々しくも女性としての身嗜みを忘れないというイメージは、必ずしもセミラミスに限定されたわけではなく、15世紀半ばには他の女傑にも共有されることになる。口絵有り。画像低解像度版/graphics in low resolution