- 著者
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中祢 勝美
- 出版者
- 天理大学
- 雑誌
- 天理大学学報 (ISSN:03874311)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, no.1, pp.49-78, 2016-10
本論文では,バルバラの代表作のひとつであり,「独仏和解の歌」としても知られる『ゲッティンゲン』の成立を独仏文化交流の興味深い事例として捉え,両言語圏の史料を読み解く作業を通じて歌の成立背景に肉薄しようと試みた。この歌は,ゲッティンゲンでのリサイタル(1964年)で起こったハプニングや町の人々との交流が創作の強い動機になったが,論文前半では成立の経緯をいったん脇に置き,作品としての歌に向き合い,主に歌詞の分析を通じて,町の知名度が低いことを利用しようとしたバルバラのねらいを解明した。論文後半では,バルバラの『回想録』の問題点を示し,リサイタル実現に決定的な役割を果たしたペンカートを始めとする当事者に筆者が行なった聴き取り調査を踏まえ,ゲッティンゲン大学歴史学研究室に1950年代前半から醸成されていた本物のフランスびいきがバルバラの赦しを引き出す磁場として働いていたことを明らかにした。