著者
王 慈敏
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.248-257, 2014-03

従来の研究では、ベキダとナケレバナラナイについては、意味解釈に止まる傾向があると捉えれている。 高梨(2010)はナケレバナラナイの基本的意味を「当該事態が実現しないことが許容されないことを表す」、ベキダの基本的意味を「当該事態が妥当であることを表す」とする。しかし、次のような用例の問題は従来の研究が言及してないことである (1)結婚すれば、相手の家族も大切にしなければならない/*すべきだ。 (2)結婚していれば、相手の家族も大切にしなければならないよ/すべきだよ。 上記のような例文のようにバ節とベキダとナケレバナラナイの共起関係は異なっている。本稿はバ節との共起から見た両者の差異を中心に考察を行う。 そして、以下の二点に焦点を当てながら、例文を分析する。一点目は、複文の「前件p 」で述べられた事態と「後件q 」で述べられた事態の関係について、二点目は前件p の性質についてクローズアップすることで分析を試みる。考察の結論として、両者の相違点について概略次のように整理してみたい。 (1) バ節と共起した例前件p が「状態・存在の述語」・「現在の仮定」に偏るかどうか(ナケレバナラナイ:×、ベキダ:○)

言及状況

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こんな論文どうですか? 「べきだ」と「なければならない」 : バ節との共起から見た両者の差異を中心に(王 慈敏),2014 https://t.co/S1akGiOESZ 従来の研究では、ベキダとナケレバナラナイについては、意味解釈に止まる傾向があ…

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