著者
大塚 萌 オオツカ モエ OTSUKA Moe
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.158-176, 2015-03

近年海外から日本のサブカルチャーへの注目が高まり、マンガやアニメ作品が次々と輸出・翻訳されている。ドイツでも日本のマンガが数多く翻訳・出版されている。マンガが翻訳されるとき、日本語独特の表現や語彙をどのように翻訳するかが問題となる。本論では呼称表現のドイツ語版の翻訳語選択について、特に日本語語彙流入の変遷を考察する。分析対象として、日本のマンガブームの初期から長期にわたってドイツ語版が翻訳・出版された『新世紀エヴァンゲリオン』を使う。まず、先行研究を参考に、マンガにおける文字テクストの定義・分類を行い、さらにドイツのマンガを取り巻く環境を見る。その上で、家族に対する呼称表現と呼称接尾辞を使った表現のドイツ語翻訳例を調査し、分析する。その結果、年代が下るに従って日本語語彙をそのままドイツ語版の翻訳語として採用する傾向があることが分かった。
著者
大塚 萌 オオツカ モエ OTSUKA Moe
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.32, pp.159-179, 2016-03

本論ではドイツ語に翻訳された日本マンガのテクスト比較分析を行う。作品に登場するものには、日本ではなじみの深いものであっても、翻訳版受容側の文化にとってはあまりなじみのないものも含まれる。それらを翻訳する際に、どのように翻訳語が選択されているかを本研究では分析する。また、翻訳語選択の背景となる文化はどのようなものかを先行研究から考察する。分析には、『よつばと!』を用いる。対象となる要素は、「セミ」に関する語とする。先行研究から、ドイツにはセミは生息しておらず、鳴く昆虫という程度の認識しかないことが明らかになった。『よつばと!』の翻訳例においては、„Grille"と„Zikade"を文脈に合わせて使い分けていることが分かった。さらに単なる翻訳語の使い分けという問題ではなく、単語の対応関係の構成変更やオノマトペ翻訳、文字テクストからの要素削除の問題も関わることが分かった。
著者
大内 郁 オオウチ カオル OOUCHI Kaoru
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.66-79, 2008-03

ドイツの精神科医プリンツホルンが精神疾患患者による絵や彫刻作品を研究して著した書物『Bildnerei der Geisteskranken』は、1920~30年代の日本で度々の紹介や同様の実践がなされて受容された。精神科医の式場隆三郎や野村章恒ら、当初積極的にこの受容に関与した少数の自然科学系学者たちの行動の背景には、当時の領域横断的な新しい思考としての「科学」への期待があり、プリンツホルンの「精神病理学的」取り組みは先進的研究として受容されている。しかし、この精神病理学的な芸術作品の解釈は、1930年代半ばより、一方でナチス・ドイツの「退廃芸術」理論に取り込まれるなど、逆説的に前衛芸術排斥の言説としても現れはじめる。それらの言説が日本の美術界に移入されることを一つの機にして、式場らのプリンツホルン受容が「沈黙」に転じていった姿が見られるだろう。
著者
石井 宏典 イシイ ヒロノリ ISHII Hironori
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.21, pp.108-121, 2010-09

2009年衆議院総選挙では「脱官僚・政治主導」の旗印の下、歴史的政権交代が行われた。これまでわが国においては、官僚機構が最大のシンクタンク機構として時の政権の政治行政における知恵袋として機能してきた。しかし近年新たな民間非営利のシンクタンク、また政党シンクタンクの創設など日本のシンクタンク文化が大きく変化しつつある。シンクタンクの定義は各国の事情に即したものであり一概に確定しきれないが、本稿ではその歴史と動向を紹介し、萌芽期にある日本のシンクタンクの現状と今後の可能性を公共哲学の理念からシンクタンク論へと結びつけ、これまで調査委託研究が主であった調査型から提案型・提言型による「新しい日本型シンクタンク」の導入可能性について言及する。その実現への大きな三段階の柱を〈公共〉〈政策理念〉〈実践〉として、日本型シンクタンクの独自性を明らかにしたい。
著者
牧野 悠
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.16-28, 2008-03

柴田錬三郎が生み出した戦後時代小説最大級のヒーロー、眠狂四郎。その必殺剣、刀身をゆるやかに旋回させることによって、対手を一瞬の眠りに陥らしむる魔技「円月殺法」は、いわゆる剣豪小説ブームに乗り、現在に至っても高い知名度を保っている。しかし、その研究は、一定の強度を備えて描写に踏み込んだ考証となりえず、登場以降半世紀に亘り、典拠考察すらされてこなかった。円月殺法の描写は、同時期の剣豪小説の方法と同様、剣術資料を典拠とし、想像上の秘技を紙上に現出させるための、リアリティ向上に用いていた。そればかりか、その典拠は、円月殺法という魔剣そのものを着想させる可能性すら秘めるものであった。また、典拠の性質を鑑みると、作家がそれをいかに利用するかによって、遣い手である剣士の性格形成にも影響を与え、剣豪小説の双生児とも云うべき二人のキャラクターの誕生をもたらすことにつながった。
著者
王 書[イ]
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-14, 2011-03

大正作家と中国との関連を言うとき、すぐ思い浮かぶのは谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介、木下杢太郎などといった作家ぐらいで、その数が明治時代と比べるとずいぶん少ないが、しかし、右の作家たちはいずれも大正時代においての大家であることは事実である。これらの作家たちは大正時代において、いわゆる「支那趣味」を持つ作家たちである。「支那趣味」という言葉が生活の西洋化が進んだ大正時代に生まれたのは興味深いことである。明治維新以来、文学者を含む日本人が、社会における各分野で欧米を追う中で、これらの文学者たちは、どうして中国に関心を寄せたのだろうか。また、当時の中国はどのように彼らの眼に映ったのであろうか。そして、彼らの「支那趣味」の内実はどのようなものであろうか。本論文では、谷崎潤一郎と芥川を例にあげ、大正作家の「支那趣味」を見ていきたい。
著者
高橋 孝次 タカハシ コウジ TAKAHASHI Koji
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.32, pp.13-28, 2016-03

〈文壇〉からの孤立というイメージによって強く価値づけられてきた稲垣足穂だが、大正末から昭和初期にかけては、〈文壇〉という文学場において、「新時代」を代表する作家として登記された存在だった。本稿では作家自身の証言に依拠するのみでほとんど検証されてこなかった〈文壇〉時代の稲垣足穂の姿を当時の時評や合評、新たに発見された資料、同時代言説などから再構築することを目的とする。滝田樗陰と「中央公論」、佐藤春夫との破門問題、中村武羅夫と「新潮」、新感覚派と「文芸時代」といった稲垣足穂と〈文壇〉を繋ぐ人々との関わりを再検証し、当時の足穂がいかにして〈文壇〉での位置を獲得していったかを裏付ける。加えて石野重道と猪原太郎という二人の友人をめぐる「オリジナリティ」の問題を採り上げ、足穂の送った二つの抗議文と、それに対する〈文壇〉の反応から足穂の「新しさ」がどのように認知、受容され、消費されていったのかを明らかにする。
著者
牧野 悠
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.46-60, 2011-09

藤沢周平は、活動の初期から、武芸者を描いた作品を多数発表している。「隠し剣」シリーズは、そのような武術をテーマとする作品群の代表とすることができる。シリーズの一編である「必死剣鳥刺し」は、近年映画化されたように、時代小説がかつての勢いを失った今日でも、コンテンツとしての命脈を保つ作品である。しかし、本作の解釈にあたり、描かれた剣や武士道を考察する際の補助線として、外的情報を導入した場合、物語の破綻を余儀なくされる。主人公の倫理観や剣法は、作者が作品生成に利用していたという史料から得ることのできる武士のイメージや、それまでの時代小説で描かれた剣法観からは、逸脱したものと判断せざるを得ないからだ。しかし、作品を相対化し得る能動的な読みを、事前に回避する構造を本作は有しており、示された剣術流派の無名性や、三人称でありながら主人公の視線に寄り添う語りの方法に、その一端を見ることができる。
著者
石井 宏典
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.23, pp.64-75, 2011-09

政治学の経験的手法と規範的手法を架橋する熟議民主主義の試みは政治学の再生を掲げる重要な分野であるとともに、民主主義の形を新たに捉えなおす好機となっている。加えて、民主社会の問題解決を提案する学問である政策科学・公共政策学においても民主主義ともにキーワードとなっている「熟議」は、政策形成の仕組みを捉える点で重要な論点であり、ともに形は違えどもどちらも根源的な学問の存在意義の重要性において接近している。熟議民主主義の思想史的総括を終えて実証的・実態的側面への研究が求められる現在、熟議そのものをどう解釈するかには蓄積された実践例の分析が必要不可欠となる。本稿ではその分析に政策科学分野における一領域である「政策類型論」を用いて、政策の分類・類型化を試みたい。その意図するところは、熟議民主主義思想と実際の熟議事例の対応関係を表すとともに、政策類型により漠然として一括りにされている熟議の質、事実-価値関係と熟議民主主義に親和的な政策分類を捉えることにある。この結果は、政治学においては熟議研究の新しい切り口に、政策科学においては古典とされた政策類型論の理論的拡張と政策形成と熟議の一体化を確認することとなる。この政策類型区分には公共的観点、いわゆる公共哲学の理念を加味しており、「熟議-政策-公共」をつなぐ民主主義の形を構築するその為の一試論としたい。
著者
大浦 明美 オオウラ アケミ OURA Akemi
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.26, pp.83-95, 2013-03

本稿は、一人暮らしの女性後期高齢者の日常生活の意識について明らかにした。研究方法は、女性後期高齢者5人にインタビュー調査を実施し、分析を行った。その結果、1に依存・自己否定・依存対象の移行・社会的孤立への変容プロセス、2に自立・承認・幸福体験・信頼の基盤への変容プロセス、そして、3に教訓・規範意識・パートナーの喪失・自然信仰への変容プロセスが示された。この3つのプロセスは融合し、1つの巡回するプロセスをなしていた。これらのことから、現代の単身女性後期高齢者における日常生活意識は、おもに家族との絆、友人等のつながり、そして自然信仰に存在する主観的幸福感と通底していることが示された。
著者
黒田 加奈子 クロダ カナコ KURODA Kanako
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.16, pp.42-51, 2008-03

北部イタリアのコムーネであったパドヴァによって建造された市庁舎兼裁判所であるパラッツォ・デッラ・ラジョーネの存在意義について再検討を行う。従来の研究史ではあまり問われることのなかった、北中部イタリアの各コムーネに共通するトポスとしての公共建築群の位置づけからパドヴァのそれを捉えなおすことにより、その特異性を明らかにする。また、共和国条例集等の同時代史料の精読によって、パラッツォ・デッラ・ラジョーネというタームの含む意味と問題性について論じる。同時に、都市の中心において市民と密接にかかわる場の状況を史料分析から明らかにする。
著者
光延 忠彦
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.58-72, 2014-03

1955年の自民党の成立以降65年の「刷新都議会選挙」までの間、東京都議会(都議会)内では自民党の多数が継続されたが、当該選挙を分岐に多数党は存在しない政党配置にそれは変容した。その後、東京都の自民党は、都内一部の選挙区での補選で勝利して一時的に多数を占めたことはあったものの、ほぼ少数の勢力で推移した。 65年の都議会選挙において東京都の自民党が少数化した直接的要因は、都議会議長の交替に伴う贈収賄事件とされてきた。しかし、一方で、65年の都議会選挙で東京都の公明党や東京都の民社党も議席を獲得したことから、都議会は、「多党化の時代」を迎えることにもなった。こうしたことから、65年の「刷新都議会選挙」は、戦後都議会内の政党配置に決定的な変化をもたらす契機となったのである。 そこで、東京都の自民党は、いかなる要因から長期に低迷して少数にならざるを得なかったのか。本稿は、この点に、「政党組織の候補者選定」という視角から一定の解答を提出する。政党による「候補者調整と政党間の棲み分け」が、東京都の自民党組織の消長に影響したという結論を、「刷新都議会選挙」の前と後との、東京都の自民党勢力の比較を通じて提出する。 ところで、こうした研究は、一中核自治体の議会選挙の分析ではあるが、しかし、それとともに、大都市部における自民党組織の集票活動は如何なる状況なのか、この点についても示唆が得られる意義を有する。
著者
大塚 萌
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.158-176, 2015-03

近年海外から日本のサブカルチャーへの注目が高まり、マンガやアニメ作品が次々と輸出・翻訳されている。ドイツでも日本のマンガが数多く翻訳・出版されている。マンガが翻訳されるとき、日本語独特の表現や語彙をどのように翻訳するかが問題となる。本論では呼称表現のドイツ語版の翻訳語選択について、特に日本語語彙流入の変遷を考察する。分析対象として、日本のマンガブームの初期から長期にわたってドイツ語版が翻訳・出版された『新世紀エヴァンゲリオン』を使う。まず、先行研究を参考に、マンガにおける文字テクストの定義・分類を行い、さらにドイツのマンガを取り巻く環境を見る。その上で、家族に対する呼称表現と呼称接尾辞を使った表現のドイツ語翻訳例を調査し、分析する。その結果、年代が下るに従って日本語語彙をそのままドイツ語版の翻訳語として採用する傾向があることが分かった。
著者
犬塚 康博 イヌズカ ヤスヒロ INUDZUKA Yasuhiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.228-236, 2014-03-30

『志段味古墳群』(2011年)は、名古屋市教育委員会が計画する「歴史の里」のために実施された発掘調査等の報告書である。同書には、リテラシーの過失が複数認められた。ヘーゲルを参照するとき、同書の意味は「経験と歴史の断絶」にあることが仮説され、文化財保護の断絶、諸学との断絶に概括できるいくつかの徴証がこれを支持した。区画整理によって、地域の生活世界の経験と歴史が物質的、精神的に断絶されてゆくなか、古墳群を再編するのが「歴史の里」である。『志段味古墳群』の断絶性がこれを拘束し、さらに神話的世界の「尾張氏」が援用されてこの断絶を糊塗する。ここに、歴史のサブカルチャー化が予感されるとともに、天皇制を内面化した敗戦前の歴史の再演もが想起された。『志段味古墳群』のいわゆる「非科学的な考古学」は、現在の安倍政権等による、対中国を頂点とした戦争機運醸成ならびに戦争体制整備としての中央集権強化と同期するのである。
著者
石橋 茂登 イシバシ シゲト ISHIBASHI Shigeto
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.21, pp.219-232, 2010-09

銅鐸の発見は古代以来、史書や縁起の類に記されてきた。また銅鐸の中には寺社に所蔵されているものが多数ある。本稿は、銅鐸が出土後にどのように扱われたかに注目し、銅鐸出土の事実がどのような意味づけをされたのかを考察する。 古代では律令の規定によって銅鐸が官に届けられた。それとともに銅鐸は阿育王宝鐸と見なされて寺院造営の際の瑞祥とされた。また、中世以降の梵鐘には地中・水中から出現したものや龍宮など他界と結びつく伝承をもつものが数多くみられ、異界とつながる特殊な力があるとされていた。銅鐸にも異界と結びつく伝承をもつものがあり、人々から銅鐸の出土は梵鐘の出土と同様なことと見られた可能性が高い。梵鐘と同じく銅鐸が異界とこの世をつなぐ特殊な力をもつ器具と観念されたことによって、寺社の造営に際しての銅鐸出土はその地の聖性を証明することにつながった。転じて、関係のない銅鐸が寺社縁起に取り込まれて出土伝承を付会された場合もあると考えられる。史料に記録された銅鐸出土の記録や伝承は、そのような偏りを含んでいる。近世では出土した銅鐸を官に届け出た事例が多数あり、出土後の扱われ方を知ることができる。
著者
シュレーゲル フリードリッヒ 栩木 憲一郎
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.25, pp.98-109, 2012-09

本翻訳は、ドイツ・ロマン派の思想家フリードリッヒ・シュレーゲル(Friedrichvon Schlegel, 1772-1829)が、1796 年にJ.F. ライヒハルトの主宰するベルリンの雑誌『ドイツ(Deutschland)』第3巻に発表した論文「共和主義の概念について-カントの『永遠平和のために』をきっかけとして(Versuch über den Begriff des Republikanismusveranlaßtdurch die Kantische Schrift „zum ewigen Frieden")」の全訳であるである。この論文は、その表題にもある通り、シュレーゲルが、カントが1795 年に発表した論文『永遠平和のために』をきっかけとして書いたものである。この論文においてシュレーゲルはカントに対する深い敬意を示し、カントの主張に注釈を加えるという形をとりながらも、シュレーゲル独自の共和主義に対する見解を展開している。特にこの著作においてシュレーゲルは共和主義そのものの条件を破壊しないのであるならば、一定の形で独裁官といった官職を認め、他方共和主義そのものの条件が破壊される場合には、それに対する抵抗を許容している。
著者
レーベルク アウグスト・ヴィルヘルム 栩木 憲一郎
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.30, pp.207-216, 2015-03

本翻訳は、ドイツの思想家アウグスト・ヴィルヘルム・レーベルク(1757-1836年)が、カントがベルリンの雑誌『ベルリン月報(Berlinische Monatschrift)』の1793年9 月号に発表した論文「それは理論においては正しいかもしれないが、実践については役立たないという決まり文句について(Über den Gemeinspruch: Das mag in derTheorie richtig sein, taugt aber nicht für die Praxis)」を受けて、同じ『ベルリン月報』の1794年2 月号に発表した「理論の実践に対する関係について(Über das Verhaltnisder Theorie zur Praxis)」の日本語訳である。この論文においてレーベルクは前年に出されたフリードリッヒ・ゲンツのカントに対する批判と同様にカントの議論に対してその意義を認めつつも、それのみでは現実の国法論や市民社会への応用に対しては不十分であることを、フランス革命において展開された議論を背景にしながら論証している。
著者
高光 佳絵
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.29, pp.1-13, 2014-09

本稿は、1934(昭和9 )年の近衛文麿貴族院議長の訪米を、官民一体の対英米関係改善の試みと位置づけ、その民間主導性と日本政府との役割分担を明らかにするものである。近衛が訪米中に接触した相手は、大きく分けて、アメリカ政府関係者、メディア関係者、メディア以外の民間団体関係者の3 つであったが、このうちメディア以外の民間団体関係者との接触には日米のIPR人脈が大きな役割を果たしていた。近衛訪米に対する日米IPRの協力における中心人物は岩永裕吉と高木八尺であった。彼らは、民間レベルの満洲国「承認」模索の延長線上で近衛訪米を支援した。すなわち、彼らの目的は、政府レベルにおいては踏み込むことができないが、長期的な目標としてはアジア・太平洋情勢安定のために不可欠であると日本側が考えていた満洲国承認問題にその「非政府性」を盾にとって接近することであった。
著者
栩木 憲一郎 トチギ ケンイチロウ TOCHIGI Kenichiro
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:18834744)
巻号頁・発行日
no.28, pp.258-263, 2014-03-30

本書では、グローバル化の進展する現代社会において避けて通ることの出来ない国際社会の諸問題が取り上げられ、それらが「世界正義(Global Justice)」の問題として論じられている。筆者はまず世界正義なるものの理論上の成立可能性をめぐる議論から出発し(第一章・第二章)、続いて具体的な問題として、国家体制の国際的正統性条件と人権との関係(第三章)、世界的規模での貧困問題の解決を目的とした世界経済における格差是正の問題(第四章)、さらには国際社会における武力行使の正当性をめぐる戦争における正義の問題(第五章)を論じ、最後に今後のあるべき世界統治秩序を構想している(第六章)。本書ではこれらの問題をめぐる現在の代表的議論と筆者の見解がきわめてよくまとめられており、今後の世界秩序を規範的に構想する際の良き手引書となっている。