著者
加藤 政洋
出版者
大阪市立大学文学部地理学教室
雑誌
空間・社会・地理思想 (ISSN:13423282)
巻号頁・発行日
no.6, pp.51-58, 2001
被引用文献数
1

I はじめに : (1)課題 : 1935年に編まれた『大阪市域拡張史』には、大正期に形成された大阪市街地北部に位置する豊崎町について「大小二百有余の工場軒を並べ、煤煙天を覆ふの盛況を呈し、工場都市北大阪の大を誇るの観があった」、同じく南部に位置する今宮町についても、「其の状態全く市内と異らず、人口七万五千四百余人、戸数一万八千四百を有する全国著名の大町」であると記されている。このように近代都市大阪を工業都市として表象する場合、工場と煤煙、そして戸口の規模は誇るべき特徴になる。だが、ひるがえって、当時の市政の枢要を占めていた社会事業の点からみた場合、どちらの地区も「不衛生住宅地区」や「過密住宅地区」として表象され改善されるべき事業対象であった。実際に、今宮町に位置し、現在では日本最大の「寄せ場」として知られている「釜ヶ崎」については、「五十戸の安宿が軒を並べ、之に止泊する日稼労働者五千人を超へ、社会施設の急愈々切なるものがあった」とも記されているのである。「寄せ場」には日雇い労働者のための簡易宿泊所(ドヤ)が集中的に立地しているが、さきの昭和戦前期の記述にも見られるとおり、戦前の「釜ヶ崎」には、「日稼労働者」のための「安宿」と呼ばれる日払いを原則とした「木賃宿」を指す宿泊施設が多数存在していたようである。……

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CiNii 論文 -  木賃宿街「釜ヶ崎」の成立とその背景 https://t.co/hUMhwqXGbT #CiNii

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