- 著者
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中村 久美
- 出版者
- 天理大学
- 雑誌
- 天理大学学報 = Tenri University journal (ISSN:03874311)
- 巻号頁・発行日
- vol.68, no.2, pp.77-92, 2017-02
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の序文では,鏡がこの作品を読み解く鍵であることを暗示する文章が並ぶ。鏡自体,ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』や,ギリシャ神話のメドゥーサ退治に使われた鏡のように,一種魔術的な要素を持ち,虚像と実像の乖離を本来的に内包するものだが,この作品においては肖像画が鏡の役割を果たすというひねりを効かせており,「誠実」な人間と「真実」の人間という世紀末的対立を際立たせている。肖像画が魂の真実を映し出す時,鏡に映っているモノとはいったい何なのだろうか。本稿では夏目漱石の『幻影の盾』もヒントにしつつ,『ドリアン・グレイの肖像』を中心にワイルドにおける鏡と真実,ほんものとにせもののありようを探る。