著者
小林 照夫
出版者
関東学院大学[文学部]人文学会
雑誌
関東学院大学文学部紀要 (ISSN:02861216)
巻号頁・発行日
no.119, pp.73-98, 2010

イングランドにおいては、議会主導の政治体制を誘導したのは、「ピューリタン革命」と「名誉革命」である。そして、イングランドではこの二つの革命を通して市民革命が実現した。そのイングランドの特徴は、市民革命を史的事象として実在させながらも、旧体制での権力の象徴であった国王(女王)が国家の首長として機能した点にある。そして、その首長の権力を議会が牽制した。その結果、イングランドの近代化は、議会と国王(女王)が「イギリス近代化車」の両輪として機能し、他の西欧諸国とは異なる近代に向けての独自の絶対王政を歩みはじめた。ブリテン島のもうひとつの王国、スコットランドの移行期となると、その特徴を明確に位置づけることは難しい。何故なら、スコットランドでは移行期の一つの政治体制である絶対王政が、イングランドほど鮮明に形づくられたものではなかったからである。特に、1603年以降の同君連合時代は、スコットランドから国王を送り込みながら、イングランド王国の政治体制に引きずり込まれた形になった。イングランドが17世紀を通して、封建制から近代への移行を自らのものにしたのに対して、スコットランドではそうした史的歩みが見えなかった。17世紀はスコットランドにとって不幸な時代だったのか。1707年の「合邦」は不幸な時代の帰結なのか。本稿では、そうした素朴な問題意識に基づき、17世紀のスコットランドの宗教と政治を主題としつつ、スコットランドの宗教改革の史的現実、一王・二議会制下でのスコットランドとイングランドの関係を、比較史の座標の中で考察することにする。

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