著者
藪崎 聡
出版者
関東学院大学工学部教養学会
雑誌
科学/人間 (ISSN:02885387)
巻号頁・発行日
no.45, pp.133-138, 2016-03

筆者は従来の研究において、日本武道の在り方について、現代武道を興隆させた著名な人物の思想から勝敗観を読み取ることで示す試みを継続してきた。その言動には武術の種類や流派の違いを越えた根本的な共通点が、士道という、徳としての日本の精神の在り方の領域において現象学的に存在することがうかがえた。本研究においては、こうした武の在り方を根本から支える精神の本質はどこに求められるのかをテーマに、日本の武のシンボル、また皇室において三種の神器の一つでもある草薙剣の記紀におけるはたらきから日本人がいかなる武の現われを尊んできたかを検証する。三種の神器、そして草薙の剣に関しての歴史学的な角度からの考証は過去において十分に行われ議論も行われてきたが、古代からの事項でもあるため十分な真実や証拠を提供するものとはなりえない場合もあるが、少なくとも現代を生きる我々がそれを国家の歴史において重要な役割を果たしていると認識するには十分であるといえよう。皇室が歴代の天皇の即位にあたって、その権威を象徴する鏡、曲玉、剣。中でも力の象徴とされた草薙の剣の存在は広く国民の知るところであるが、その姿を誰も見ることが許されないことからさらに存在の真偽を含めて今後も議論が続けられよう。古事記においては須佐之男命がそれを八俣の大蛇の尾から取り出し天照大御神に献上した。日本書紀では記述が異なるが歴史の流れの中で常に三種の神器は皇室の権威の象徴であり続けたことは事実である。古事記には美麗なものより、より直截的で飾らない表現が多用されているところに特色がある。前述の八俣の大蛇退治の記述も勇猛に闘い斬り殺すと書かれたことはなく、その戦術は酒で眠らせたところを斬る戦術をとっておりその記述は今にそのまま変えられることなく残っている。またここで得られた草薙の剣も、その後何度か歴史に姿を現すがただの一度も戦いで相手を斬りつけることに使われた描写が全く存在しないことは特筆に値する。国を統治するうえで武力の象徴とするならばそれに相応しい表現を神話に残すような記述が残されるようになったり、あるいはそれに適した来歴の武器を以て神器とするのが一般的な神話の構成と言えるのだが、日本における神器 草薙の剣は不殺の剣のまま神器として継承されている。現実として確認できる事実から我々は以下のように神器にかかわる伝説の継承から日本的価値観の現われを勝敗観としてとらえることができよう。神話に残る伝承や歴史は時として後世の者たちの手により書き換えられることもあり、我々はその変化や推移を通じて時代に応じた価値観を読み取ることが出来る。しかるに本研究における考察の対象となった草薙の剣が大きく働きを見せたのは、後に継承した日本武尊が襲われた際に周囲の草を斬り倒した時のみである。 こうした描写から日本人の感性にある武の威徳というものは必ずしも多くを打ち倒す、多くを斬り殺すものに集約されるとは考えがたいものがあるといえよう。古事記の記述の中には殺伐とした場面は少なからず登場するが草薙の剣は剣でありながら全く人や動物をを殺傷した様子がない。草薙の剣の用いられ方から日本の武への姿勢、思想、勝敗観を読み取るならばそれは自身を守る、ということにその本義をおいていたと見るべきであろう。

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