- 著者
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藤山 正二郎
- 出版者
- 福岡県立大学
- 雑誌
- 福岡県立大学人間社会学部紀要 (ISSN:13490230)
- 巻号頁・発行日
- vol.20, no.2, pp.1-13, 2012-01-08
先に私は「野生の思考としての伝統医学」という論文を書いた。その要旨は、漢方などの伝統医学は近代医学とは異なる科学的認識で成立している、いわばレヴィ=ストロースの言葉の「具体の科学」として伝統医学を展開することであった。さらに本論ではレヴィ=ストロースの『野生の思考』の「感性的表現による感覚界の思弁的な組織化と活用をもとにしてなしえた自然についての発見」を基本として、第1章の「具体の科学」のなかの「ブリコラージュ」 「神話的思索」の概念を消化して、漢方、中医学、ウイグル医学という私が多少とも関わった伝統医学の理解に応用したいと考えている。 「具体の科学」とは遅れている科学ではない。近代医学は部分的に伝統的な処方薬などの分析を行い、伝統医学の効能を認めつつある。分析とは近代の科学的方法の一つである。それによって、この二つの科学のコミュニケーションが部分的には可能であろう。しかし、その背後にある身体観、自然観などを理解可能なものにしないと、伝統医学は科学ではなく、哲学、思想にとどまってしまう。そうしないためにも、この二つの科学的認識を対照させながら、相互にその認識の特徴を明らかにしたい。 ブリコラージュとは、 「ありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作ること」である。 「器用仕事」とか訳されているがいま一つしっくりこない。ブリコラージュでは資材の世界は閉じている。すなわち、そのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがここでのゲームの規則である。身体はそれを包む環境とのバランスのとれた相互作用のなかにある。いわば閉じた世界である。それを対象とする医療はブリコラージュ的であるべきであろう。環境の変化によって、新しい病気などは出現するが、基本的には身体は静態的均衡になかにある。具体の科学の知識の工作面を示すのがブリコラージュであるが、伝統医学は自然の「ありあわせ」の植物や動物などを薬として使用する。 近代医学は身体の概念を拡大していく。人間機械論から、臓器移植、再生医療など、身体を人間本来のものから絶えずはみ出してきた。さらに科学的概念を駆使して、合成された新薬を絶えず開発きた。このように近代医学は無限に拡大可能な科学的概念を使用する。 伝統医学は身体的記号(embodied symbol)を使う。脈状、舌の形状、色など言語化しにくい記号で判断する。陰陽五行説も基本は身体的メタファーである。患者を前にして、これらのシンボルをブリコラージュ的に組合せ、構造的な処方を出すのである。