- 著者
-
植田 康孝
- 出版者
- 江戸川大学
- 雑誌
- 江戸川大学紀要 = Bulletin of Edogawa University
- 巻号頁・発行日
- no.27, pp.1-34, 2017-03
「シンギュラリティ(技術的特異点)」とは,人工知能が人間の能力を超える時点を言う。ヒトは自らの学名を傲慢にもホモ・サピエンス(賢明なヒト)と名付けたが,ホモ・スタルタス(愚かなヒト)になる瞬間である。近年の急激な技術進化により「シンギュラリティ」はもはや夢物語とは言えなくなっている。英オックスフォード大学のニック・ボイスロム教授の調査では,「シンギュラリティ」が到来しないと回答した人工知能分野の研究者は僅か10% に過ぎなかった。厚生労働省発表に拠れば,2016 年に生まれた子供の数(出生数)が98 万1,000 人となり,初めて100 万人を割り込んだ。出産に携わる20 ~ 39 歳の女性は2010 年(1,584 万人)から2014 年(1,423 万人)の4 年間で160万人以上減るなど構造的な問題であり,今後も進展する。団塊世代のピーク1949 年には269 万,第2 次ベビーブームのピーク1973 年には209 万人もいたから,半分以下の激減である。猛スピードで少子高齢化が進展する日本では,特定職種における労働力不足が深刻化している。人手不足を解消する,という社会的要請に応じる形で,人工知能の浸透が進む。人工知能に置き換えられる労働人口の割合はアメリカ(47%)やイギリス(35%)と比べて,日本(49%)が最も高い。これは,労働者が比較的守られて来た日本で,置き換えが遅れていたためである。人工知能の進化によって,産業構造や人の働き方が激変する。伴って,近い将来,私たち生活者の価値観や生き方が大きく変わるようになる。人工知能によって労働や生活における問題の大半が解決された場合,人間はどのような悩みを持つ存在になるのか。人工知能の進化は,人間の拠って立つ軸,例えば,信念や価値観,行動の判断基準を変えることを迫る。日本人は子供の頃から「働かざるもの食うべからず」と教えられ,「勤勉」を尊ぶ価値観が日本人の精神には深く根付いて来た。しかし,2016 年女性人気が爆発した深夜アニメ「おそ松さん」は,6 人の兄弟が揃って定職に就かず,遊んで暮らす「脱労働化生活」を送る。全員同じ顔と性格を持つ6 つ子が登場していた原作に対し,それぞれに細かくキャラクタを設定し声優の割り当てを別としたことにより,キャラクタごとに「推し松」と呼ばれる熱狂的な女性ファンが続出し,社会現象となった。人間は,2030 年に到来すると予想される「シンギュラリティ」以降には,仕事を減らすための人工知能が増え,「おそ松さん」的脱労働化生活を送るようになる。「おそ松さん」的ライフスタイルとは,ある程度,物質的な欲望を満たした場合,「モノ」の充足を超えて,文化や芸術,旅行,あるいは自分自身の想い出など,「コト」についての関心を増やすことである。政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るために必要とされる現金を支給する「ベーシック・インカム」制度の導入により,お金のために労働する,お金を使って消費するという生活から少しでも自由になることを可能にする。社会のために必要な「仕事」を人工知能が肩代わりしてくれるのであれば,賃金が支払われるだけの「労働」を行うことを中心とした生き方よりも,個性を大切にする生き方の方が余程「人間らしい」と言える。過去の常識に振り回されることを防いで,創造的な行動を行うことが,「おそ松さん」的「脱労働化生活」を実現することである。歴史家ホイジンガが説いた「人間はホモ・ルーデンス(遊ぶ存在)」の体現である。