- 著者
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髙橋 儀平
- 出版者
- 東洋大学ライフデザイン学部
- 雑誌
- ライフデザイン学研究 (ISSN:18810276)
- 巻号頁・発行日
- no.10, pp.283-297, 2014
バリアフリー、ユニバーサルデザイン(以下BF、UD)の政策的起点を、1961年の米国基準協会における世界最初のアクセシビリティ&ユーザビリティ基準の制定と捉えると、既に50年以上を経過している。2015年は日本で初めてオリンピック大会が開かれた1964年から51年目の節目でもある。1964年11月の大会は、わが国の障害者にとって初めて世界に触れ、その後の障害者の生活環境改善の転機となる大会でもあった。東京体育館を始め幾つかの施設が一時的にせよバリアフリー化され、この大会に集った障害者がその後の日本におけるバリアフリーを牽引したことは良く知られている。その30年後、1994年にわが国で初めて建築物のバリアフリー化を促進するハートビル法が成立した。本論文では、このようなわが国のバリアフリーの動きを軸に、この間の欧米の先進的なバリアフリー法制度を根底に、近年特に活発な動きを示している中国、韓国との比較考察を行った。 日中韓の3カ国は歴史的にさまざまな社会、文化交流が行われ、都市、建築物、ある日は人々の暮らしに共通する部分も少なくはない。しかし今日の日中韓は政治経済体制、生活習慣、言語等に大きな相違がある。BF、UDも同様である。そこで、本論では、1)日中韓の3カ国がどのようにBF、UD化の経緯を辿ったか、その要因は何か、2)その際に障害者、利用者の参画はどうであったか、3)現状における各国のBF、UDの到達点はどうか、4)今後におけるBF、UD活動の共通性、各種基準の標準化の可能性、等について比較考察を試みる。結論として、BF、UDの沿革と到達点については、出発点は異なるものの3カ国とも国際的な動きに強く影響されていることが判明した。特に中国では、国際障害者年、北京オリンピックを契機とした変革があった。一方、韓国では、日本と同様に障害者運動が大きな役割を果たした。今後3カ国によるBF、UD施策の共有化や意見交換が極めて重要であることが確認された。日中韓の標準化については、交通機関、建築物、公共トイレ等で一定の可能性があるのではないかと考えられる。