著者
赤堀 三郎
出版者
東京女子大学現代教養学部国際社会学科社会学専攻紀要編集委員会
雑誌
東京女子大学社会学年報 = Tokyo Women's Christian University annals of sociology (ISSN:21876401)
巻号頁・発行日
no.6, pp.47-54, 2018

日本では近年,不寛容が広がりつつあると言われている.不寛容社会という言葉が使 われることもある.本論文は,社会が不寛容になっているか否かを検証したり,社会の不寛容さを道徳的・倫理的見地から嘆いたり非難したりするものではない.本論文で問うのは,不寛容社会が「どのように観察されているか」である.そしてこのことを通じて,近代化や文明化のもつパラドクシカルな性質を扱うための一般的な枠組を探究する.そのためにここでは,社会を一種の観察者として把握し,その観察の仕方を問う「セカンド・オーダーの観察」の視座に立つ.ここから,次のようなことが言える:まず,社会の不寛容さは寛容/不寛容の区別を用いることで観察されており,その背 景には「文明化した社会は寛容であるべきだ」という考えが隠されていることがわかる.次に,社会学理論の知見をあてはめれば,不寛容さの蔓延は文明化に逆行するものではなく,むしろ文明化の当然の帰結であると言える.不寛容社会は文明化や「よりよい社会」の追求が往々にして正反対の結果をもたらすというパラドックスの一例として捉えることができ,この意味で注目に値する.そして,ニクラス・ルーマン『社会の社会』で論じられている「社会の自己記述」という循環的な図式を用いることで,この種のパラドクシカルな現象の発生メカニズムに接近することができる.社会の望ましさの追求と密接に結びついた不寛容社会のような自己記述は,往々にして当初の目的に反する望ましくない帰結をもたらす.この種の問題に対処するとすれば,たとえば不寛容を現象の水準ではなく言説という水準で把握し,言説が逆機能をもたらす仕組みを解明して,そこに見られる悪循環の円環を断ち切ることがその処方箋となるだろう.

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