著者
坂田 達紀
出版者
四天王寺大学
雑誌
四天王寺大学紀要 (ISSN:18833497)
巻号頁・発行日
no.66, pp.7-27, 2018-09-25

村上春樹の「沈黙」は、『村上春樹全作品1979 ~ 1989 ⑤ 短篇集Ⅱ』(講談社、1991 年)のために書き下ろされた短編小説である。この小説について、作者の村上は、「僕の作品系列の中では、かなり特殊な色合いのもの」、「とにかくストレートな話」、「もともとはとても個人的な意味合いを持った作品」などと述べている。さらに、「僕としては作品集の中に「こっそりと忍び込ませた」という感じの作品だった。」とも述べている。しかし、この小説は、その後何度も単行本(短編集)に収録されたり、この小説一作品だけで単行本化されたり、高等学校国語教科書にまで収載されたりしている。あるいはまた、「大幅に手を入れた」りもされている。つまり、村上は、書いた当初はそれほどでもなかったが、後になって、この小説を重要な作品と見なすようになったものと考えられる。 本稿では、以上のことを念頭に置きながら、作品「沈黙」の文体的特徴を析出するとともに、どのような読み方ができるのか、いわば読みの可能性を探ることを試みた。加えて、デビュー以来の村上作品の中で(村上の言葉で言えば、彼の「作品系列」の中で)、この作品がどのように位置付けられるのかを考察した。その目的は、この作品の持つ特殊性を明らかにすることである。 析出された文体的特徴は、聞き書きという形式を利用したリアリズムの文体ということと、純粋な三人称小説でもなければ一人称小説でもない、三人称と一人称とがいわば混在した文体ということである。いずれの特徴も、この作品の持つ特殊性を示すものと考えられる。また、読みの可能性としては、作品に描かれた二つの「沈黙」(高校時代の「大沢さん」が学校で強いられた「沈黙」と、現在の「大沢さん」が真夜中に見る夢の中の「沈黙」)を截然と区別して読むことの重要性を指摘したうえで、「沈黙」と「深み」との関連性を読み取るべきこと、および、システムの「悪」に対する村上の批判が読み取れることを述べた。さらにまた、本来自分の内側にある恐怖を描くことの多い村上が、「沈黙」という外側の恐怖を描いているという意味では特殊な作品だが、この作品の(作者自身による)扱いには、村上のデタッチメントからコミットメントへという考えの変化が読み取れることから、きわめて重要な作品として村上文学の中に位置付けられることを指摘した。最後に、タイトルは「沈黙」であるが、「沈黙」するのではなくそれを破らなければならないとする村上の姿勢が読み取れるという意味で、逆パラドキシカル説的な作品とも言えることを付言した。 本稿で得られた分析・考察の結果は、この作品をより深く読む際にはもちろんのこと、国語教材として用いる際にも役立つものと考えられる。

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こんな論文どうですか? 村上春樹の「沈黙」について(坂田 達紀),2018 https://t.co/mXzNBpJiid 村上春樹の「沈黙」は、『村上春樹全作品1979 ~ 1989 ⑤ 短篇集Ⅱ』(講談社、1991 年)のために書き下ろされた短…
こんな論文どうですか? 村上春樹の「沈黙」について(坂田 達紀),2018 https://t.co/mXzNBpJiid 村上春樹の「沈黙」は、『村上春樹全作品1979 ~ 1989 ⑤ 短篇集Ⅱ』(講談社、1991 年)のために書き下ろされた短…
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