- 著者
-
大鹿 勝之
- 出版者
- 東洋大学大学院
- 雑誌
- 東洋大学大学院紀要 = Bulletin of the Graduate School, Toyo University (ISSN:02890445)
- 巻号頁・発行日
- no.55, pp.55-67, 2019-03
ヒュームの議論において、自然とは、人間本性によってとらえられる自然であり、また、その人間本性が自然と理解されている箇所がある。例えば、『人間本性論』A Treatise of Human Nature第1巻第3部第10節で、「自然は人間の精神に、一切の行動の主要な発生と動機付けの原理として、善ないし害悪の知覚、換言すれば快苦の知覚を植え付けた」と述べられているが、このことは、人間の精神には自然に快苦の知覚が植え付けられているという人間本性のあり方を示している。では、人間以外の自然の存在は人間本性としての自然において、どのように把握されるのだろうか。ロは、ヒューム的な分析が、内在的価値を人間以外の自然の存在者に帰する非-人間中心的な環境倫理学の理論を支持しうるかどうかを吟味する。ロは、価値についてのヒューム的分析を試み、そして、人々が自然の中に価値を創造しうるのは、人々が、対応する心理学的性向を上首尾に涵養し、内在化する場合、その場合にのみ限る、という。しかし、ヒュームの議論においては、自然は人間本性によって把握された自然であり、その点で、人間以外の自然の存在者は、人間という存在の本性としての自然に依存している。