著者
安藤 丈将
出版者
武蔵社会学会
雑誌
ソシオロジスト : 武蔵社会学論集 (ISSN:13446827)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.1-37, 2019

本稿は,香港の広深港高速鉄道反対運動(反高鉄運動,二〇〇八~一〇年)が市民社会と社会運動に何を残したのかという問いを考察している。反高鉄運動は,高速鉄道の建設によって立ち退きを強いられた菜園村という小さな村の住民と外部からの支援者による抗議行動である。一節では,一九九七年に中国に返還された後の香港の社会運動の展開を追い,反高鉄運動の生まれた歴史的文脈を明らかにしている。「七一遊行」に代表される大規模イベントが繰り返し組織される中で,香港における脱政治的な文化に変化が生じた。二節では,二〇〇八年一一月,政府による菜園村民に対する立ち退き通告後の運動の展開を跡づけている。支援者たちは,高鉄プロジェクトをめぐる不正義を問題にすると同時に,香港における支配的なイデオロギーである資本主義的開発に対する根源的な疑問を呈したことを論じた。三節では,反高鉄運動の生んだ二つの遺産のうち,まず,非暴力直接行動の創出について論じている。「苦行」と呼ばれるユニークな路上の行動は,ローカルな運動がWTO反対運動のようなグローバルな運動と交錯する中で生まれた。本節では,「苦行」が慣習的なスタイルでは伝えにくい政治的主張を表現する方法であることを強調している。四節では,もう一つの遺産である農の発見に焦点をあてている。支援者たちは,菜園村民の農を基盤にした生活に刺激を受けた。それは,自分の食べる物を自分で作り,余分にできた物を近隣住民や友人にシェアしたり,露天で売ったりする暮らし方である。彼らは,土地を商業施設や住宅施設に変えるのではなく,耕して種を植えて作物を収穫することで生きていくやり方を見出した。以上のように,本稿では,反高鉄運動が路上における政治的表現の手法と農を基盤にした生活のモデルという二つの遺産を生み出したことを明らかにした。

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