- 著者
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権田 浩美
- 出版者
- 佛教大学国語国文学会
- 雑誌
- 京都語文 (ISSN:13424254)
- 巻号頁・発行日
- no.27, pp.67-91, 2019-11-30
<異界>を描く作家として定評のある川上弘美にとって、『水声』は異色の作であろう。川上と同じ年齢の語り手・都の語る、弟・陵との近親相姦という一見閉ざされた愛の物語は、時代を揺るがした実際の事件や災害を後景化することにより、奇妙なリアリティと共に神話にも遡及する男女の愛の原型としても読めるからだ。とりわけ、<ママ>と奈穂子に重ねられる<白>のイマージュは興味深い。『水声』という題名につながる<水>の流れる処として都が想い描く<白い野>はモダン都市文化と戦時下の緊張が交錯する時代に成った新興俳句からきているが、その時代はそのまま<ママ>の幼少期と重なる。<白>は戦争のみならずチェルノブイリ原発事故、地下鉄サリン事件、そして東日本大震災という、人という種が科学への過信や傲りの果てに引き起こした、あるいはどれほど科学が発展しても避けられぬ破壊の跡に晒される虚無や空無の色彩とも読める。近代的自我の描出に拘泥しない川上による人という種の盛衰と愛の原型として、都と陵の愛の物語が、<白い野>を流れる<水>という悠久の時間の中で浮かび上がってくる。