著者
有田 和臣
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.211-244, 2012-11-24

『千と千尋の神隠し』は、十歳の少女千尋が引っ越し先の町の森の中で、異界に迷い込みまた生還する、異界往還の物語である。しかしその異界は、戦後日本の経てきた歴史的社会状況を濃厚に映し込んでおり、とりわけ日本の高度成長期からポスト・バブル期にかけての生活空間に根差している。この物語は千尋が過去の歴史をひとわたり旅する、神話の英雄譚の構成をとっており、その旅程に即して千尋が過去を象徴的に経験していく物語だと言える。この旅における千尋の経験の内実を検討する。
著者
大木 ひさよ
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.42-64, 2014-11-29

今回の論文は、受賞の翌年から50年経てば、毎年必要に応じて公開される、スウェーデンアカデミー所蔵の選考資料を参考にし「なぜ、川端康成が初の日本人受賞者となったのか」を、川端の作品やその時代背景、又当時アカデミーから推薦を受けていた他の作家と比較・検討しながら考察した。選考資料によると、当時ノミネートボードに挙がっていた日本人作家は、現在(2014年10月)資料が閲覧出来る1963年度まででは、賀川豊彦、谷崎潤一郎、西脇順三郎、川端康成、三島由紀夫、の5名である。川端の名が、一番最初にノミネートボードに挙がったのは1961年であるが、それから七年後の1968年に受賞した。その間に他の作家や川端康成は、アカデミーの審査員からどのような評価を受けていたのか。様々な意見や批評がある中で、結果的に川端がどのような評価を受けて受賞に到ったかを、幾つかの視点から考察したが、公開された物の内最新資料(1963年)からアカデミーは、「日本文学の専門家」2名に日本文学に対する評価を依頼していたことが分かった。その2名とは、ドナルド・キーン教授(ニューヨークコロンビア大学/日本語学科教授)と、エドワード・サイデンステッカー氏(三島/川端文学の翻訳者)であった。「ノーベル文学賞」は、まだまだ一般にはその受賞理由がはっきりしないが、50年前の資料から、毎年少しずつその全容が見えてきている。例えば、世界各国からの推薦者が、どのような理由でその作家を推薦していたか、又その時代との融合性等からいくつかの受賞理由を考察する事が出来る。今回の論文の主旨としては、ノーベル文学賞の舞台裏を知ることで、日本文学が当時(1960年代)どのような評価をヨーロッパの文学界で受けていたのか、どれほどその文学性が理解されていたのかを、探るきっかけにもなるのではないかと思っている。
著者
坂井 健
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.9, pp.212-227, 2002-10-05

文明開化の象徴とも言える「牛鍋」は、魯文の『安愚楽鍋』を筆頭として様々な作品に、往時の流行の風俗として描き込まれているポピュラーな料理である。だが、では、いったいその「牛鍋」とはどんな鍋だったのか、中に入れる材料は何か。味付けはどうしていたのか。「牛鍋」を食べることにどんな意味があったのか、などと考えるとあまりはっきりしない。『安愚楽鍋』を中心に当時の文献を検討してみると、牛鍋は牛肉を使った鍋料理全般を指し、当初は、その料理方も一定していなかったこと、客が自分の好みをその場で言って調理してもらう、融通無碍な料理であったことが分かる。明治の初めは、牛肉は、西洋の学問を理解した開明的な行為であるとの意識のもとで食べられていたが、ほどなく気楽に食べられるおいしい食べ物として親しまれるようになっていった。
著者
平野 芳信
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.27, pp.50-66, 2019-11-30

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』で、語り手が多大な影響を受けたアメリカ人作家デレク・ハートフィールドは、周知のごとく、実在の作家ではない。一応、「ロバート・E・ハワード」と「ハワード・P・ラヴクラフト」、さらには「ヴォネガット」等々の作家像を混交したものという定説があるが、本稿は、この定説に一石を投じるものである。すなわち、かつてアメリカ進駐軍に接収されていた明治神宮球場で、アメリカ人選手が放ったヒットの快音を耳にして、小説を書こうと思いつきながら、どうしてもうまく小説が書けなかった春樹が、まず英語で書いてみて、それを日本語に翻訳することではじめて『風の歌を聴け』を書き上げることができたという、作者自身何度も述懐しているエピソードに留意した。さらには、それまでの禁を破るかのように身内について多くの情報をさらけ出したことで話題になった「文藝春秋」に発表されたエッセイ「猫を棄てる」において、春樹の祖父が「村上弁識」という僧侶であったことに着目し、「弁識」氏が「ハートフィールド」氏のもうひとりのモデルであった可能性を提案するものである。
著者
荻原 廣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.276-298, 2016-11-26

個人の語彙量(使用語彙、理解語彙)についての調査は、現在に至るまで決して多く行われてきたとは言えず、中でも使用語彙についての調査は、調査方法が確立しておらず、ほとんど行われていない。そこで本稿では、まず先行研究について述べた後、今回、大学4年生を対象に行った日本語の語彙量調査にて試みた内省法を使った使用語彙の調査方法について解説し、その後、調査結果及び考察について述べる。
著者
吉丸 雄哉
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.19, pp.104-121, 2012-11-24

虚像としての忍者は、忍術がつきものであり、それが登場する忍者の話は一定の型を持つ。浅井了意『伽婢子』(寛文六年(一六六六)刊)は「飛加藤」と「窃の術」の二つの忍者の話を収める。該話はそれぞれ中国の『五朝小説』の構成を参考にしたが、原話に出てくる剣侠のかわりに、超人的な忍術を使う忍者を登場させた。「超人的な忍術を駆使して忍者が大事なものを奪うために潜入する」という構成の話の嚆矢にあたる。その後、この話の型は井原西鶴『新可笑記』などに継承され『賊禁秘誠談』で一定の完成を見た。この形式の話は広く膾炙し、史実を述べることが前提の由緒書に記された忍者像にもその影響が見える。
著者
黒田 彰
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.109-151, 2013-11-30
著者
荻原 廣
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.1-30, 2014-11-29

個人の語彙量(理解語彙、使用語彙)がどのくらいあるのかについての調査は、現在に至るまで決して多く行われてきたとは言えず、中でも使用語彙についての調査は、幼児対象の調査を除くと、ほとんど行われていない。そこで本稿では、過去の理解語彙、使用語彙の調査がどのように行われ、そこにどういった問題点があるのかを明らかにし、そのうえで、個人の理解語彙、使用語彙を調査するにはどうすればいいかについて述べ、最後に、現在、筆者が行っている理解語彙、使用語彙の調査について触れる。
著者
田中 みどり
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.223-251, 2011-11-26

古代のアサガホはカホガハナのうちの、朝に咲くことが特徴である花である。このアサガオには、現在の朝顔、桔梗、槿、昼顔、のあさがおなどの説がある。朝顔は十月十一月に咲くこともある。源氏物語のアサガホは、長月に咲いている例もあるが、つる性の植物で、現代と同じ朝顔と考えてよい。桔梗説について。源氏物語にも枕草子にもキキヤウとアサガホとが出てくるので、この時代には別の植物をさしていたことは明らかである。薬草としてのツルニンジンの根あるいは食用としての若芽をトトキと呼ぶが、古代のキキヤウは、そのトトキの一種でヲカトトキと呼ばれていたものであるだろう。槿説について。ムクゲは和漢朗詠集に「槿」の詩と「あさがほ」の歌とが並べられているが、これは命の短い花ということで並べられたもので、「槿」がアサガホであるのではない。萬葉集のアサガホは朝に咲く花であることが明らかであるので、桔梗、槿、昼顔、のあさがお説は否定される。夕まで咲いている例があるが、朝顔は、早朝つぼみを開いて夕刻まで咲き続けることも、ないわけではない。よって、萬葉集のアサガホも、現代の朝顔と同じ牽牛子である。すなわち、牽牛子は、奈良時代に将来されたものである。アサガホの諸説は、古辞書や和漢朗詠集を文証とするものであるが、古辞書には出典を記してないものが多く、その記述をそのまま信じることができないものもある。また、和漢朗詠集は同じ趣の漢詩と和歌とを並べているものであって、必ずしも同じ風物を集めたものでもないので、注意を要する。
著者
南條 佳代
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.240-261, 2016-12-20

佛教大学二条キャンパス造成地であった京都市中京区西ノ京星ヶ池町より「三条院釣殿高坏」と墨書された高杯が出土した。そこは、平安時代前期に右大臣を務めた藤原良相(八一三〜八六七)の邸宅「西三条第」(百花亭)跡地であることが確実になり、さらにそこでは、仮名文字が記された墨書土器も多数出土した。そこで出土した(墨14)について、調査報告書の解読ではなく、拙稿において古今和歌集の初句が表記されていると結論付けた。その後の調査結果を踏まえ、(墨14)の他の箇所の解読を初め、(墨8)、(墨15)、(墨16)、(墨66)の表記と書風、文字形態を見ていく。さらには、実際に土師器のような素焼きの赤皿に墨書した結果を踏まえ、仮名書家として、文字連綿における字面の美、流麗さを検証し、明確にしていくものである。
著者
後山 智香
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.197-209, 2017-11-25

『古事記』には、後に「天下」となる葦原中国と異界との間に二種類の「坂」が存在している。それは「黄泉ひら坂」と「海坂」であるが、いずれの「坂」も異界に赴く際は問題にされず、属する<国>に戻る段階においてようやく登場するという特徴を持つ。それには<国>作りという問題が大きく関わってくる。なぜなら天皇の世界=「天下」を指向する『古事記』の世界観では、異界との関わりはその上においてでしか意味をなさないからだ。そしてそれは異界との境界である「坂」も同様である。本稿では『古事記』における異界との間に存在する「坂」の意義を<国>作りという観点から見ていくことで、境界としての「坂」は、上巻の神話的空間から脱却し、後の「天下」を指向する『古事記』にとって必要不可欠な<国>作りの一部であったことを論じていく。
著者
浅尾 広良
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.35-46, 2010-11-27

『源氏物語』桐壺巻の巻末近くには、二人の皇女の婚姻が語られている。しかも二人は皇統の尊貴性を担う后腹内親王であり、物語はこうした皇女の婚姻を全体の舞台設定として語るのである。そもそも、律令制度下において皇女の婚姻は厳しく制限されていた。それは皇女が皇位継承において重要な役割を果たして来たことに由来する。そのために皇女不婚の原則は何百年にも亘って守られてきたが、平安時代に入るとそれが少しずつ崩れてくる。しかし、そうであっても天皇の意図に従い、皇女は相変わらず天皇家の権威保持にとって重要な役割を果たしたのである。歴史的に見ると、皇統が交替し、天皇の権威が危うくなった時に、皇女を使った皇統の権威化と臣下との紐帯強化が繰り返し行われてきた。物語の二人の皇女の婚姻は、天皇のおかれた裏面の事情を想像させる。
著者
井上 泰至
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.26, pp.30-43, 2018-11-24

『雨月物語』「蛇性の婬」の歌枕による舞台設定(紀伊国三輪が崎・佐野の渡り)は、当時の中世歌学に従った通念とは異なった国学(契沖『万葉代匠記』(精選本))の成果による歌枕考証を基にしつつ、その通念と国学説の間を、俳諧的連想で自由につなぐものであった。また、主人公豊雄が引用する「三輪が崎・佐野の渡り」を詠みこんだ歌は、『万葉集』が出典ではあるが、平安朝文学に耽溺する余り、その文学世界から抜け出てきたような謎の女、真女児(まなご)に誘惑され、豊雄が懸想する場面での引用の背景には、『源氏物語』「東屋」が介在していることを考証した。これらの新事実を出発点に、原拠の中国白話小説をいかに日本の物語に「見立て」ていったか、その知的遊戯の実態を確認し、「物語」の高度な達成と、本作の主題について私見を提示した。
著者
空井 伸一
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.59-73, 2012-11-24

本稿は、護摩で用いられる「芥子」、就中その匂いを感受する作中人物の描かれ方を手がかりにその心根を照らし出す試みである。麻薬としてのいわゆる「罌粟(opium)」に通ずる芥子の語感から、異常な作用をもたらすように受け止められることがままあるが、しかし実際にそのようなことはない。さして変哲もないものに過剰に反応するなら、それは受け止める側の心の問題ということになるだろう。本稿が目的とするのは『雨月物語』中の二篇を読み解くことだが、その手始めに「芥子の香」なる特徴的な表現で知られた『源氏物語』「葵」の帖につき、それが六条御息所の苦衷を描く上でいかなる意味を持つかを考察する。次いで、この表現を自覚的に引用した「蛇性の婬」につき、豊雄に執念くつきまとう真女子は「芥子の香」をもって調伏されながら、しかしその香は同時に、加害を為す邪神とは断罪しかねる彼女の心意をも浮かび上げていることを論ずる。最後に、悪逆な死霊が高野山という霊場に跋扈し、しかもその死霊自らが霊場の神妙を言祝いでみせるという不可解さが読む者を戸惑わせてきた「仏法僧」につき、そのように言挙げする死霊たちの自意識を■明する上で、彼らの連句に読み込まれた「芥子」の語がひとつの徴証となることを論じる。
著者
浜畑 圭吾
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.29, pp.105-119, 2021-11-27

八坂系平家物語の一種である城一本平家物語は、その刊記に城一ゆかりの平家物語であるという伝承を記す伝本である。現在では城一に仮託したものと考えられているが、そうした権威を利用して、新しい平家物語を創り出そうとしたものとして注目される。 本稿では『源平盛衰記』から取り込んだと思われる「髑髏尼物語」をとりあげた。『盛衰記』で設定された重衡救済物語の文脈から切り離し、六代物語との連関を深めるために、処刑された若君の前景化を進める城一本の形成過程を明らかにした。
著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.227-246, 2009-11-28

松本清張が『天城越え』について自ら解説した「『黒い画集』を終わって」中の記述を手がかりに、静岡県警察部保安課発行の『刑事警察参考資料』第四輯(国立国会図書館東京本館蔵)中の第五編「天城峠に於ける土工殺し事件」をその原拠資料として提示する。原拠資料の大半がほとんどそのまま『天城越え』の2章の事件記録として用いられ、一部が1・3章の回想部分に振り分けられる。加えて、原拠資料と川端康成『伊豆の踊子』の作品世界との類似性から『伊豆の踊子』とは対比的な物語が構想され、その実現のために資料の細部にさまざまな操作・変更が加えられ、また原拠資料にない大塚ハナという女性が新しく造型されるなどして、原拠資料での単なる金目当てだった事件が、『天城越え』での性の目覚めが少年を突き動かして起こる事件に改められていく、そうした『天城越え』の生成の過程を詳細に見ていく。そこに、清張作品が生成する一つの事例が浮かび上がる。
著者
玉井 晶章
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.262-275, 2016-11-26

宮澤賢治が生前出版した詩集『春と修羅』(大正一三年四月)に所収された詩篇「蠕虫舞手」に「ナチラナトラ」という単語がある。この「ナチラナトラ」については、詩を解釈する上で重要な意味を持つにも関わらず、これまで具体的な検証が行われてこなかった。本稿では『春と修羅』刊行初期の生前批評に触れつつ、「ナチラナトラ」の意味を明らかにすることで「蠕虫舞手」に新しい解釈を加えたい。