著者
坂井 健
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.9, pp.212-227, 2002-10-05

文明開化の象徴とも言える「牛鍋」は、魯文の『安愚楽鍋』を筆頭として様々な作品に、往時の流行の風俗として描き込まれているポピュラーな料理である。だが、では、いったいその「牛鍋」とはどんな鍋だったのか、中に入れる材料は何か。味付けはどうしていたのか。「牛鍋」を食べることにどんな意味があったのか、などと考えるとあまりはっきりしない。『安愚楽鍋』を中心に当時の文献を検討してみると、牛鍋は牛肉を使った鍋料理全般を指し、当初は、その料理方も一定していなかったこと、客が自分の好みをその場で言って調理してもらう、融通無碍な料理であったことが分かる。明治の初めは、牛肉は、西洋の学問を理解した開明的な行為であるとの意識のもとで食べられていたが、ほどなく気楽に食べられるおいしい食べ物として親しまれるようになっていった。
著者
平野 芳信
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.27, pp.50-66, 2019-11-30

村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』で、語り手が多大な影響を受けたアメリカ人作家デレク・ハートフィールドは、周知のごとく、実在の作家ではない。一応、「ロバート・E・ハワード」と「ハワード・P・ラヴクラフト」、さらには「ヴォネガット」等々の作家像を混交したものという定説があるが、本稿は、この定説に一石を投じるものである。すなわち、かつてアメリカ進駐軍に接収されていた明治神宮球場で、アメリカ人選手が放ったヒットの快音を耳にして、小説を書こうと思いつきながら、どうしてもうまく小説が書けなかった春樹が、まず英語で書いてみて、それを日本語に翻訳することではじめて『風の歌を聴け』を書き上げることができたという、作者自身何度も述懐しているエピソードに留意した。さらには、それまでの禁を破るかのように身内について多くの情報をさらけ出したことで話題になった「文藝春秋」に発表されたエッセイ「猫を棄てる」において、春樹の祖父が「村上弁識」という僧侶であったことに着目し、「弁識」氏が「ハートフィールド」氏のもうひとりのモデルであった可能性を提案するものである。
著者
荻原 廣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.276-298, 2016-11-26

個人の語彙量(使用語彙、理解語彙)についての調査は、現在に至るまで決して多く行われてきたとは言えず、中でも使用語彙についての調査は、調査方法が確立しておらず、ほとんど行われていない。そこで本稿では、まず先行研究について述べた後、今回、大学4年生を対象に行った日本語の語彙量調査にて試みた内省法を使った使用語彙の調査方法について解説し、その後、調査結果及び考察について述べる。
著者
吉丸 雄哉
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.19, pp.104-121, 2012-11-24

虚像としての忍者は、忍術がつきものであり、それが登場する忍者の話は一定の型を持つ。浅井了意『伽婢子』(寛文六年(一六六六)刊)は「飛加藤」と「窃の術」の二つの忍者の話を収める。該話はそれぞれ中国の『五朝小説』の構成を参考にしたが、原話に出てくる剣侠のかわりに、超人的な忍術を使う忍者を登場させた。「超人的な忍術を駆使して忍者が大事なものを奪うために潜入する」という構成の話の嚆矢にあたる。その後、この話の型は井原西鶴『新可笑記』などに継承され『賊禁秘誠談』で一定の完成を見た。この形式の話は広く膾炙し、史実を述べることが前提の由緒書に記された忍者像にもその影響が見える。
著者
南條 佳代
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.240-261, 2016-12-20

佛教大学二条キャンパス造成地であった京都市中京区西ノ京星ヶ池町より「三条院釣殿高坏」と墨書された高杯が出土した。そこは、平安時代前期に右大臣を務めた藤原良相(八一三〜八六七)の邸宅「西三条第」(百花亭)跡地であることが確実になり、さらにそこでは、仮名文字が記された墨書土器も多数出土した。そこで出土した(墨14)について、調査報告書の解読ではなく、拙稿において古今和歌集の初句が表記されていると結論付けた。その後の調査結果を踏まえ、(墨14)の他の箇所の解読を初め、(墨8)、(墨15)、(墨16)、(墨66)の表記と書風、文字形態を見ていく。さらには、実際に土師器のような素焼きの赤皿に墨書した結果を踏まえ、仮名書家として、文字連綿における字面の美、流麗さを検証し、明確にしていくものである。
著者
後山 智香
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.197-209, 2017-11-25

『古事記』には、後に「天下」となる葦原中国と異界との間に二種類の「坂」が存在している。それは「黄泉ひら坂」と「海坂」であるが、いずれの「坂」も異界に赴く際は問題にされず、属する<国>に戻る段階においてようやく登場するという特徴を持つ。それには<国>作りという問題が大きく関わってくる。なぜなら天皇の世界=「天下」を指向する『古事記』の世界観では、異界との関わりはその上においてでしか意味をなさないからだ。そしてそれは異界との境界である「坂」も同様である。本稿では『古事記』における異界との間に存在する「坂」の意義を<国>作りという観点から見ていくことで、境界としての「坂」は、上巻の神話的空間から脱却し、後の「天下」を指向する『古事記』にとって必要不可欠な<国>作りの一部であったことを論じていく。
著者
井上 泰至
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.26, pp.30-43, 2018-11-24

『雨月物語』「蛇性の婬」の歌枕による舞台設定(紀伊国三輪が崎・佐野の渡り)は、当時の中世歌学に従った通念とは異なった国学(契沖『万葉代匠記』(精選本))の成果による歌枕考証を基にしつつ、その通念と国学説の間を、俳諧的連想で自由につなぐものであった。また、主人公豊雄が引用する「三輪が崎・佐野の渡り」を詠みこんだ歌は、『万葉集』が出典ではあるが、平安朝文学に耽溺する余り、その文学世界から抜け出てきたような謎の女、真女児(まなご)に誘惑され、豊雄が懸想する場面での引用の背景には、『源氏物語』「東屋」が介在していることを考証した。これらの新事実を出発点に、原拠の中国白話小説をいかに日本の物語に「見立て」ていったか、その知的遊戯の実態を確認し、「物語」の高度な達成と、本作の主題について私見を提示した。
著者
浜畑 圭吾
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.29, pp.105-119, 2021-11-27

八坂系平家物語の一種である城一本平家物語は、その刊記に城一ゆかりの平家物語であるという伝承を記す伝本である。現在では城一に仮託したものと考えられているが、そうした権威を利用して、新しい平家物語を創り出そうとしたものとして注目される。 本稿では『源平盛衰記』から取り込んだと思われる「髑髏尼物語」をとりあげた。『盛衰記』で設定された重衡救済物語の文脈から切り離し、六代物語との連関を深めるために、処刑された若君の前景化を進める城一本の形成過程を明らかにした。
著者
玉井 晶章
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.23, pp.262-275, 2016-11-26

宮澤賢治が生前出版した詩集『春と修羅』(大正一三年四月)に所収された詩篇「蠕虫舞手」に「ナチラナトラ」という単語がある。この「ナチラナトラ」については、詩を解釈する上で重要な意味を持つにも関わらず、これまで具体的な検証が行われてこなかった。本稿では『春と修羅』刊行初期の生前批評に触れつつ、「ナチラナトラ」の意味を明らかにすることで「蠕虫舞手」に新しい解釈を加えたい。
著者
有田 和臣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.166-184, 2016-12-20

前稿で、物語の舞台となった地域に存在した歴史的な対立関係が、「権狐」(「ごん狐」)の物語成立と密接な関係にあったと考えられる事実を指摘した。今回はさらに、この物語世界で重要な鍵を握ると思われる人物、茂助(「ごん狐」では茂平)の様態を検討する。この物語を語り手の「私」に語り聞かせたのが茂助であり、彼の周辺には多くの謎がある。なぜ彼が物語の発信源なのか。なぜ彼が語った話を「私」が読者に伝える、という伝聞構造をとるのか。茂助自身は誰からこの物語を伝聞したのか。物語を語るまでに彼はどのような生活をしてきたのか。これらへの解答を求めつつ本稿では、茂助がこの物語の単なる仲介者ではなく、いかに物語の中核にかかわる存在であるかを検証する。
著者
田中 みどり
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.24, pp.185-228, 2016-12-20

コス・オロスなど、オ段音に接する「ス」は敬語をあらわし、ア段音に接する「ス」は動作・作用が起きることを示す動詞語尾であった。すでに古事記の時代にもキコスとキカスとが同じ意味のものと認識されていた。日本書紀ではア段音に接する「ス」も敬語をあらわすものと考えられ、萬葉集では、「ス」は親愛をあらわしたり、語調を整えるものとして使用された。後に存続をあらわすようになった「リ」が、現存を明確に示したように、「ス」は動詞の動作性を明確にする語尾であった。
著者
有田 和臣
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.22, pp.164-187, 2015-11-28

前稿に続き、新美南吉の元原稿と思われる「権狐」成立の背景として、南吉の生家のある岩滑を中心とする地区に存在した水利・治水争いを検証する。「権狐」の物語世界が成立するまでの前史として、幕末より延々と続く、泥仕合の連続といってもよいような紛議の歴史があった。その歴史が「権狐」の世界観に連続し、映し込まれていると考えられる。その事実を踏まえて読めば、「権狐」の事件設定や無駄と思われるような記述が、この地方の歴史を担った色彩を帯びていること、言い換えれば岩滑の歴史へのメッセージ性を秘めていることを読み取ることができるだろう。
著者
黒田 彰
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.109-151, 2013-11-30 (Released:2013-12-17)
著者
三谷 憲正
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.4, pp.172-185, 1999-10-02

これまでの先行研究は、いずれも昭和一〇年の第一回芥川賞を基点としてそれ以降の両者を論じてきていた。が、ここで考えてみたいのは、太宰治の言説の表層にタームとして表れ出でなかった〈川端康成〉についてである。太宰治の「断崖の錯覚」「東京八景」「畜犬談」などの、一見不可解とも思われる叙述の裏側に、〈川端康成〉という補助線―特に「伊豆の踊子」「雪国」「禽獣」―を仮に設定してみることによって、その不可解感のよって来たる所を解明できないか、という試みである。本稿はそのことによって、太宰文学の抒情が、王朝文学の伝統を受け継ぎそれを現代に蘇らせた〈川端的抒情〉とは異なり、すぐれて〈土着的な日本〉の〈抒情〉だったのではないか、という点の解明を企図した。
著者
岡村 弘樹
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.29, pp.47-65, 2021-11-27

本稿では、中古以降に四段活用と上二段活用との間で揺れが見られる動詞について検討した。先行研究では活用型に揺れが生じた積極的な理由がいくつか指摘されているが、そうした理由が考えられるにしては、活用型が転じた動詞というのは少ない。そこで、活用型に揺れが見られる動詞に四段活用には少ないタ行動詞が比較的多く見られることに着目し、四段活用らしさが希薄であるという条件が活用型の揺れに関わっている可能性を指摘した。 また、中世において四段活用ではなく上二段活用として新たに成立した動詞を調査したところ、バ行動詞・ダ行動詞・タ行動詞のみであった。バ行動詞は上代より上二段活用に特徴的に多く見られ、ダ行動詞は四段活用には一語も存在しない。タ行動詞はこれらに準ずる存在といえ、四段活用より上二段活用が優先されることがあったことを確認した。
著者
後山 智香
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.25, pp.197-209, 2017-11-25

『古事記』には、後に「天下」となる葦原中国と異界との間に二種類の「坂」が存在している。それは「黄泉ひら坂」と「海坂」であるが、いずれの「坂」も異界に赴く際は問題にされず、属する<国>に戻る段階においてようやく登場するという特徴を持つ。それには<国>作りという問題が大きく関わってくる。なぜなら天皇の世界=「天下」を指向する『古事記』の世界観では、異界との関わりはその上においてでしか意味をなさないからだ。そしてそれは異界との境界である「坂」も同様である。本稿では『古事記』における異界との間に存在する「坂」の意義を<国>作りという観点から見ていくことで、境界としての「坂」は、上巻の神話的空間から脱却し、後の「天下」を指向する『古事記』にとって必要不可欠な<国>作りの一部であったことを論じていく。
著者
倉員 正江
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.7, pp.20-31, 2001-05-01

八文字屋本の代表的作者江嶋其磧は、当時近松門左衛門と併称される人気を誇った。近代以降井原西鶴の再評価に伴い、亜流と見なされた其磧の評価は不当に低下した。しかし模倣やコピーの氾濫は成熟した文化の産物である現実は、商業出版隆盛の当時も今も変わらない。近松の時代浄瑠璃の代表作「国性爺合戦」・続編「国性爺後日合戦」と、「国性爺」ブームに刺激されて書かれた其磧の『国姓爺明朝太平記』を比較すると、両者の相違が顕著に窺われる。其磧は安易に浄瑠璃や歌舞伎の見せ場に頼ることを廃し、長編小説としての構想を首尾一貫させることに腐心した。「国性爺」最大の見せ場三段目を改変し、寛仁大度の甘輝将軍像を強調している。さらに「国性爺」の粉本となった通俗軍書『明清闘記」を利用して、長編浮世草子に新機軸を打ち出したのである。
著者
舘下 徹志
出版者
佛教大学国語国文学会
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
no.16, pp.209-226, 2009-11-28

横光利一の長編小説『旅愁』はこれまで、戦時下の思潮に沿う<日本主義>を基調とした小説として読まれてきた。確かに同時代の国粋的な言論と、作中における矢代、東野らの発言との間には互いに通じ合うところが多い。従来の研究も、その両者のつながりに着目してきた。しかし、それらの非合理な言葉の数々は、近世国学思想に淵源を持つ、対話を志向しない諸言説にこそその<根拠>を見出すことができるのではないか。この小説に描かれた<言挙>、<産霊>、<古神道>のありようについて考察すると、いずれも国学者たちによる、他者からの異議に価値を認めない独善的な見解をふまえ、それに支えられていることがわかる。『旅愁』の<日本主義>は、そうした揺るぎない特権意識に浸る国学言説の受容と変形を経て形作られたのである。