- 著者
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久保田 義弘
- 出版者
- 札幌学院大学総合研究所 = Research Institute of Sapporo Gakuin University
- 雑誌
- 札幌学院大学経済論集 = Sapporo Gakuin University Review of Economics (ISSN:18848974)
- 巻号頁・発行日
- no.16, pp.123-161, 2020-02-29
本稿では,プラトンの対話編『パイドロス』においてソクラテス(すなわちプラトン)によって繰りひろげられたエロス論の特質について考察する。すなわち,パイドロスが朗読した弁論家リュシアスのエロス論と対比してソクラテス(すなわちプラトン)のエロス論を検討し,両者の違いも考察する。その対比を通して,ソクラテス(プラトン)のエロス論の特質を鮮明にされる。対話においてソクラテスは二つのエロス論を提示しているが,それぞれは,まったく異なった二つの立場からのエロス論である。その一つは,リュシアスと同様に恋する人ではなく,恋してはいない人を愛するエロス論であり,他は,恋している人の方を愛するエロス論であった。 本稿では,現世の美しい人を目にし,そこから美の真実在から現実(この世)の美を認識する認識論としてのイディア説が示される。その認識論は,プラトンの対話編『饗宴』で検討した認識論の拡張,深化あるいはその延長線上にあるものであるが,プラトンは,神(あるいはデーモン)の存在を強調し,真実在の認識には神あるいはデーモンの働きを欠くことができないと主張している。プラトンのように,ある実体を認識するには,神の存在を持ち出す必要があるのかどうかは,疑問であると考えられている。そのため,今日の科学の時代において,これがプラトンの認識論を積極的に評価されない一面である。 本稿では,また,弁論術についても紹介される。その真実在を伝え教える方法として,プラトン自身によって開発されたディアレクティケー(哲学的問答法)を説明する。その方法と,プラトンが活躍していた当時の弁論術(言論の技術)あるいはソフィストの詭弁術との違いを示す。ソフィストは,事柄の真実在ではなく,世間の人達に受け入れられること,あるいは受け入れられるであろうと思われることが真実であると考え,その事柄を理路整然と語るひとが知恵者であると言うが,プラトンはその立場には与せず,彼の言論の術を展開する。その言論の術は,彼のイディア説に裏打ちされた言論の術(弁論術)である。論文